中二病について・・・

・・・・何か言おうと色々書いたのだけど、納得行かずに消してしまった。


なんというか、当たり前かもしれないんだけど、「中二病」という呼称はあくまで「中二病的なアイテム」に対して何らかの接触のある「自意識過剰な人」にしか通用しないんじゃないだろうか。要するに、オタクでもサブカルマニアでもないけど自意識過剰な人とか、逆にオタクあるいはサブカルマニアで「中二病的なアイテム」は知ってるけど特に愛好してはいない人とか、定義ケースから外れる「おこぼれ」が存外に大きいような気がする*1


なお、上に挙げた「特に愛好してはいない」が「激しく嫌悪している」に変わると高二病になるんだが、これまた変に定義づけすると大量に「おこぼれ」が出そうな概念ではある。考えれば考えるほど例外的な事例が出てきて、どう処理すればいいのか戸惑う。
真剣に議論している人には水を差すようで申し訳ないんだけど、基本的な定義づけを厳しくしてもっと限定的な概念にするか、もしくはその逆にしないと、意味性をいくら追求したところで何だかよく分からない曖昧な概念になってしまうような感じがする。別にそれでもいいのかも知れないけど。


追記:僕が覚えた違和感をgentledogさんという方が的確に言い表してくれていました。以下引用します。

結論を言ってしまえば、マイナーな物を愛するのが、この手の傾向だとするならば、俺の地元にはそのマイナーな物を受容する受け皿が全く無かったというわけで、例えば映画なら、単館系映画を愛そうにも、そんなもん上映する映画館が無いという話。


あと、こうやって中二病が語られる場合、青臭さや過剰な自意識やオサレっぽさばかりが強調されて、オリジナルにあった、童貞的要素と頭の悪さが消えていってしまってるのが、寂しい。

だってオリジナルにあった中二病って「赤川次郎あたりを読んで自分は読書家だと思い込む。」とか「『バーミヤン』などのドリンクバイキングで、色んなジュースを調合する。」とか「高校に入りさえすれば、彼女の一人や二人ぐらいはできると思っている。」とかですよ。

中二病」の定義や、愛着を抱きやすい作品傾向なんかを見ていると、「僕も中二病かな?」と思うんだけど、考えれば考えるほど矛盾がでるのはこの辺に原因があるように感じる。
都会でジャンクカルチャーに浸かって生きている人だけでなく、田舎者のボンクラ少年を掬い上げるような部分の定義が、もう少しあってもいいような気がするよ。

*1:ちなみに、「ディープなオタクでもサブカルマニアでもないけど自意識過剰な」僕自身もその一人。例外はブランキーとミッシェル(笑)