週刊少年ジャンプ2005年度19号感想(ネタバレ注意!)

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・・・・・・・・・・えーと、とりあえず叫ばせてください。


男爵キタ━━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━━ッ!!


これは打ち切り天変地異の前触れか何かかというか彼自身が天変地異的存在なのでしょうか大戦士長。ミサイルの武装錬金「ジェノサイドサーカス」が儚い陽炎のように記憶の片隅から消えて無くなってしまいそうな破滅的インパクトです。むしろ破滅してるのはストーリーの方だろという人道主義的批判は断じて受付けません。そうです、これが僕らの好きな武装錬金です!「俺はロックンロールだから」と恥ずかしげも無く言ってしまう今年40歳のギタリストのような微妙な痛さと明後日の方向にぶっ飛んだ馬鹿さ加減が炸裂する愛すべき漫画です。


男爵様にサイズを合わせるように巨大化したヴィクターの前に最早成す術も無く「男塾」の冨樫のような驚き役に徹する他無い再殺部隊達。そりゃあの化け物に犬や風船でどう対抗するんだなどと泣き事も言いたくなるでしょうが、この扱いの酷さを見るにつけ和月先生の再殺部隊編は夢だったと言う事にしたいという意思がひしひしと伝わってきます(泣)。そんな余計な事しなくても掲載順ブービーでこの展開は十分悪夢、骸骨ジャックの背骨が折れそうなぐらいのナイトメアです。きっとデヴィッド・リンチもあまりの馬鹿馬鹿しさにもんどりうって卒倒することでしょう。


話は変わってヴィクターの回想編についてですが、いやはやるろ剣和月はまだ死んでないと思わせるに十分な素晴らしいクォリティでしたな。まだ不幸まみれになる前のアレキサンドリアやヴィクトリアの純真な笑顔があまりに眩しくて、「どーせ元ネタはギャルゲーだろ」などという品性下劣な俗物的批判を圧殺してしまいそうな清らかさであります。ヴィクターパパもカッコイイなァ・・・ヴィクター→ブラボー→カズキと、正義に燃える錬金の戦士の血は確実に受け継がれているのですね(いやこの三人血の繋がりは全くないけど)。


ところでヴィクトリアたん、最後のコマで凄んだ表情と100年前の純粋無垢な笑顔にギャップがありすぎますね。貴女の人生に何があったのかと否応なしに問い詰めたくなる変わりっぷりです(実際100年も経過してるんだが)。どれぐらい違うのか、2ちゃんで流れてたスキャン画像をちょいと編集して比較してみたところ・・・・↓





・・・・・変な通販アイテムでよくある「これ一つでこんなに変わる!」とかいう胡散臭い惹句がついてきそうだなとか、「錬金術は素晴らしい力・・・・そんな風に考えていた時期が私にもありました」とか言い出しそうだなとか、色々思うところはありますが、何にせよ気になるのは彼女の過去話と今後の連載の行方であることは言うまでもありません。これだけ話を広げてしまっては仮に続いたとしても展開に収拾がつけられなくなりそうな感じではありますが・・・・。最強クラスの武装錬金が全部出ちゃったしなあ。秋水とか今更帰ってきても何の役にも立たなさそうだし(苦笑)。

登場キャラクターの心理を擬似アビリティ化して、物語上のイベントや他キャラクターとの接触によるその値の変化によってサスペンスを発生させる手法は、ミステリなどでは割と一般的に見られるものだと思いますが(参考:「ゲームとしての物語―2.駒とアビリティ(能力)の設定―」(地球儀の螺旋))、「銀魂」の場合その心理アビリティの変化の唐突ぶりをメタ的にギャグに転化してるのですな。この話に限らず、「銀魂」には「いい奴かと思ったらただの俗物だった」あるいは「ただの俗物かと思ったらいい奴だった」というようなキャラクターの描き方が多いですが、不思議とご都合臭さを感じないのはその辺の手法の上手さによるのかも知れません。
ある意味「デスノート」よりも通受けしそうな作品だと思うんですが、小中学生に大人気なわりに大人の人気があまり無いように見えるのは何故なんでしょう?やっぱり真撰組の設定がミーハーすぎるのかなあ(801好きのお姉さま方には大人気らしいですが)。

・・・ま、まさかジャンプきっての硬派ギャグ漫画家である(推測)澤井先生が何の衒いも無くオタクネタを使うとは。萌えキャラぶりがえらくステロタイプですけど、もしかしてあれってオタク批判の意図があったのか?いやしかし最近の田ボ(ブーブブ)の大活躍ぶりを見るとそうとは思えない節も・・・・そういえばアニメバージョンのビュティと田ボは物凄い萌えキャラテイストだったしなあ。あれを見て目覚めてしまわれたんだろうか・・・。

ライオンの群れの中に一人投げ込まれた仔猫的ポジションのヤコ。安心しなさいライオンは仔猫を見ても食べたりせずにやさしく育て上げるそうですよってジャンプでこんなシチュエーションを連発してこの先の連載大丈夫なんでしょうか。DCS(Doping Consomme Soup)の領域に達した漫画には最早怖いものなどないというメッセージなのでしょうか。
あと、イメージシーンの犯人像がなんで刀持ったコアラ(しかもマッチョ)なのか非常に気になります。これもDCSの思し召しなのでしょうか(しつこい)。

死神って一人一人名前があったのか・・・こんな所でもヒエラルキーの最下層に置かれる我らが毒男・ジェラスが悲しすぎます。


粧裕はそのデザインの気合の入りっぷりから見ても2部で活躍しそうなキャラクターの急先鋒ですね。まかり間違っても月の陰謀に嵌って殺されるなんて事がありませんように。相沢はヒゲ生やしてみればいいってものではないと思います。急にイメチェンし始めた中年親父のような微妙な痛さを感じます。
編集部サイドはヨツバ編の解説ですが、こうして見るとやっぱりヨツバ編が一番グダグダしてて緊張感無いですね。大場先生も「(月が元に戻ったことで)伏線を消化出来て正直ホッとした」と漏らしているように、あの時期はまさに伏線の為に伏線を張っているような展開が多すぎて、結果的に消化不良なものになってしまったんではないかと思います。別に気の利いた事言えたとか思ってませんからね。