ネット有名人の悲喜劇(上・中・下)

ネット上で注目され、華やかそうな世界から声がかかった時に、そこで本人が力を発揮できれば問題はないのだが、必ずしもそうはいかない。むしろ、あっさり底を見透かされて終わり、ということの方が多いだろう。

 それでも元のブログの人気が続けば、また声がかかるかも知れない。しかし、そうやって華やかに思える世界を覗き見た書き手は、すでに価値観がズレてしまっていがちだ。ブログの記事も、以前のような個人の小さな日常を綴るものではなくなり、華やかそうな世界の端にしがみつく臭いが鼻につくようになる。当然、読み手の日常感覚とは隔絶してしまい、次第に読者が離れていくことになる。

モテる人は大変だね、とか言ったらウンコが飛びますかそうですか。


この記事を読んだ後偶然TRiCKFiSHさんこの記事を読んだのだけど、ネットでやたら自己主張したくてたまらない人(=モテたい人)というのは「凡庸」であることを本能的に恐れているのだろうな、と思う。自己を絶対化することで必要以上に自分の能力を過大に評価し、しかも他人にそのことを指摘されても聞く耳を持とうとすらしない。中高生ぐらいでそういうメンタリティなのはある意味子供が持つべき自然な傲慢さを持ち合わせている、と言ってもいいんだろうが。


別に「狭い島宇宙」で活躍すること自体を否定するものではないし、「悲喜劇」の筆者氏も仰られているようにその中で才能を発揮して大海に出ていける実力の持ち主もいるんだろうが、あいにく僕はそうじゃないし、この通りどうしようもなく凡庸な人間であるので、「凡庸」であることを過剰に恐れるメンタリティというのは、正直なところよく分からない。
ちっぽけだって、井の中の蛙だって、平凡に生きていけるってのはそれだけで価値なんじゃないかなあ。中学高校とイジメにあってきて、命に関わる病気もして、「きっと20まで生きられないだろうな」と思いながらのうのうと20の朝を迎えてしまった人間から見ると、そう見えるんだけどなあ。間違ってるかなあ、こんな考え方。


「認められない自分は不幸だ」なんて考えているから自己主張に走っているのかも知れないけど、貴方たちは貴方たちが考えているほど不幸ではないよ。凡庸に生きる事が難しい人間だって、世の中にはいくらでもいると言う事を、もう少し知って欲しいものだと思うのだけど。なむなむ。