オタクとDQNとDQNと女

subscriberさんのこのエントリーや、naozaneさんのこのエントリーを読みながら、つらつらと考えた事。
なお、僕は未だにこの本を読んでいない不届きなオタクなので、読む方はそのつもりで。あと、文中の「男性」や「女性」は必ずしも現代日本に生きる全てのそれを指しているわけではないです。例外は数多くあるかと思いますが、ここでは論じていないだけです*1


85年生まれの自分はほぼ伝聞でしか知らないのだが、80年代に最も「モテた」男の種類はDQN*2だったように思う。何しろ往時のトレンド(笑)は暴走族尾崎豊なめ猫で、インテリの間で議論・分析の対象とされたのは仮想現実に生きるオタクよりも現実そのものを仮想現実として否定する新人類だった。バブル経済による好況のもと、「社会への否定・反抗としてのダンディズム」や「(肉体的・精神的な)暴力としてのダンディズム」が肯定されていたのがあの時代だったわけだ。その中でオタクは宮崎勤事件の余波もあり、少数派として苦しい立場に立たされていた。


ところが90年代も半ばに入ると、これらDQNと呼ばれた人々は急速にその勢いを減じ、社会的に苦しい立場に立たされるようになっていく。バブルの崩壊による未曾有の平成不況への突入がその理由として大きいのは間違い無いだろうが、宮崎事件で一時は迫害されたオタクが「新世紀エヴァンゲリオン」ブームなどを契機としてその発言力を爆発的に向上させた事、さらに70年代後半から盛り上がりを見せていた日本のフェミニズムが彼らDQNの持っていた旧来的な男根主義を否定する方向に動いた事も、理由としてあるような気がする。


70年代の梶原一騎を師と仰ぐ*3DQN達の持っていた硬派主義と男根主義*4は、平成不況と「女性の権利」を主張するフェミニストの手によって「ダサい」、「時代遅れ」のものとして規定されていく。その一連の動きの最たるものはTRiCKFiSHさんの指摘にあるような「コギャル」の登場だと僕は思う。コギャル達はDQNに限らぬ、全ての男根主義者達の主張を「性を商売として使えるアタシ達の方が偉い」という主張によってメチャクチャに破壊してしまった。TRiCKFiSHさんは「コギャルを支持できなかったのは日本のフェミニストの圧倒的な敗北だ」とも指摘されているが、その発生動機が何であれ、コギャル達の活躍によって日本のDQN男達はその居場所を完全に無くしてしまい、若い男達の中心は「(フェミニズムを理解する)オシャレな優男」と「(フェミニズムは嫌いだが)男根主義を主張出来ないオタク」に移行していく。


こうしてフェミニズムは旧来的な男根主義に見事勝利を収めた。メデタシメデタシと言いたいところなのだが、ここで困った問題が発生する。男根主義者のDQNを撲滅した結果、昔のように「女性を保護し、父性を発揮する男らしい男」が激減してしまい、女性はかえって暮らしにくい状況に追い込まれてしまったのだ。


「(フェミニズムを理解する)オシャレな優男」は本来的には男根主義者であるのだが、フェミニズムを理解するが故に「女性の能力を認める」事に過剰な価値を見出しており、仕事をしながら家事をしっかりこなせなどという無茶な要求を平気で女性にする上に、将来的に女性との間に子供や家庭を作りたい、またそれらを護りたいという意識が希薄*5で、結果として女性は(結婚できたとしても)昔通りの家庭的な幸福や真の意味での「自立」は得られない。「(フェミニズムは嫌いだが)男根主義を主張出来ないオタク」に至っては、非モテ故に女性達を本能的に憎悪しており、「俺達が暮らしにくいのはお前達のせいだ」という糾弾を繰り返すばかり。勿論恋愛や結婚などできるわけもない。
つまり、フェミニストは女性の権利を守るために男根主義者を倒したのだが、それが結果的に「結婚」もできないし「恋愛」もできない、「負け犬」と呼ばれる女性を急激に増加させる結果を生んでしまったのだ*6。これだけでも全く皮肉としか言い様のない事態だが、さらに驚くべきはこうした歴史意識を踏まえない一部の女性が再びDQNとの恋愛を夢想しているという事実である。「(今時の男は)どいつもこいつも女みたいでキモい!男らしい男と恋愛したい!」というわけだ。これは中国へのツッパリ精神から靖国神社に参拝する小泉首相や、未だ男尊女卑意識の根強い韓国のスターであるヨン様*7が女性に圧倒的な支持を受けているという事実からも伺える。男根主義を押さえつけられたが故に「男らしさ」を志向しているのは何も最近の男に限った話ではなく、女性もまた「男らしい男」の出現を待望しているということである。


こんな概略を書いても、所詮非モテオタクの一員に過ぎない僕如きには、特にまとめらしいまとめも出来ないのだが、こんな時代だからこそ男性と女性が真の意味でお互いを認め合い、協力し合わなければいけないのではないかと思う。年齢や見た目の美醜なんてこの際問うている場合ではないだろう。自分の為に他人を指弾する行為は、一時的には自身を優位に立たせるだろうが、その「優位」が他者との相対的な対比によるものである限り、相手を完全に打ちのめしてしまったらかえって自身の「優位」は崩れてしまうのである。子供じみた攻撃性に基づく非建設的な否定合戦など、結局は何も生み出しはせず、ただただ不毛な結果を招くのみである。

各方面で「女性、男性ともに子育てしやすい環境を」という策が考えられている。私も、自分の子育ての経験から、「もっと仕事との両立が楽だったら、もっと何人も子どもがほしかったのに」と思うこともあった。もちろん、子育てしやすい環境を社会の仕組みとして整えることは急務だ、ということを踏まえたうえで、よくよく考えてみると、やはり根本は子どもを自分の意思で生もうとしない女性、あるいは子どもを持つことを選択しない夫婦が増えている事実をどう捉えるか、という議論になっていくのではないだろうか。

 その議論はこの場ですることではないから、いったんおいておくが、ただ「子どもが減ってたいへんだ」「子育て支援を」と決まり文句を繰り返しつづけていても、しかたがない。「子どもを持つ人は持つし、持たない人は持たない」という現状が事実、あるのだから、その現状をどう変えたいのか、変えられるのか、少し発想を変えて検討してみてもいいのではないか。

*1:参考:電網山賊さんのこのエントリー

*2:ここでは単純に「不良」や「ヤンキー」を指しています

*3:80年代には梶原の「タイガーマスク」を原作として新日本プロレス本物のタイガーマスク(佐山聡)をデビューさせたりしている

*4:これが女性に適用されるとセーラー服百合族になる。ちなみに監督は「デビルマン」の那須博之だ!

*5:例:コンパで捕まえた彼女を気分次第でとっかえひっかえするイケメン大学生

*6:ちなみに、元よりゴリゴリのフェミニストだった人は「結婚すること自体が女の敗北だ」と考えているので、自身を「負け犬」として蔑むような意識は希薄だと思われる。というか今の時代を一番喜んでるのはそのような人々なんだろうな。知らんけど

*7:奴は一見優男っぽいがシャツを脱ぐとボディビルダー顔負けの肉体を持っている