優しさについて

  • 最近思考を纏めて長文にしようとすると破綻するケースが多い事に気付いたので、断章形式で思ったことをつらつらと述べる[断片]というカテゴリーを新たに設けてみることにする。
  • 優しくあることは厳しくあるよりも難しい。他人に厳しくする事には、「この注意/批判は傲慢ではないのか」という疑念が常に付きまとうが*1、優しさにはそのような疑念が付きまとわない。なぜなら優しさは「善意」から発せられているからであり、「善意」を持つ「善人」は自らの行いが傲慢だとは露ほども思わない。何故ならそれが「善意」だからだ!以下無限ループ。
  • 世間に自分の意見を表明しにくい少数者がいて、彼らの言い分を代弁してやるのは確かに「優しさ」かもしれない。が、その少数者がなぜ少数者であるかという視点を持たなければかえって世間からの反発を食らってしまう場合がある。自らがその少数者に属している場合は尚更のことだ。
  • 他者に「共感する」「感情移入する」のは「優しさ」や「想像力」と呼ばれ賞賛されるべきか。単に自分と似たような性格や環境や思想や趣味を持っているからではないのか。全く違う立場にあるものの気持ちさえ慮る事こそ「優しさ」ではないのか。「俺とお前は違う」だけで糾弾する人間が「優しい善人」を自称する事が多いのは何故か。
  • 「優しい」人間は「優しさ」を持たない者を糾弾する。相手が本当は「優しい」人間かも知れないという可能性は無視して。・・・・・いや、他者に「優しさ」を求めること自体が幻想なのか?
  • 優しくあることは厳しくあることより困難で、時に相手にとって残酷なことだ。だが、多くの「優しい」人間はその困難さと残酷さに気付いていない。
  • お互いに傷つけ合う事が必ずしも非建設的とは限らない。むしろ場合によっては傷つけあったほうが良い場合もある。
  • 優しくあることには覚悟が必要だ。覚悟のない優しさは相手を不幸にするだけだ。

*1:付きまとわない人は単に何も考えてないだけだ