今日のFlash・拡大版(「† DEATH NOTE†―零―」「ヘブライ語を喋るぽろろ」「僕達の空へ」「見上げる空」「Flash初心者教室のごあんない」「つまようじ」「NYC to Tahiti Nonstop」)

・・・・なんか、徐々に「拡大版」がデフォルトになってきてるような・・・もっとマメに更新します。すいません。

同作者氏によるFlash† DEATH NOTE†―退屈―の続編です。


「黒」「白」「赤」という、いかにも「死」を暗示させる色彩をふんだんに用いて、白い背景を黒い背背景に埋没させる「遺影」のような緊張感溢れるオープニングシーンが美しいです。Lという重要キャラクターの死と、それに伴う世界観の変容をそこはかとなく示唆する手腕は、正直なところ「DEATH NOTE」本編よりもよほど文学性を感じさせるものになっています(笑)。各シーンの画的達成も素晴らしく、Lやミサに関して言えば殆ど小畑氏の筆によるものと区別がつきません。


寒色系・暗色系の色に統一され、全く生気を感じさせない都市の風景や、情緒深いBGMによるバイオリンの旋律が哀感とともに胸に迫りました。背景へのノイズの挿入や、画面の不自然なぶらしによる不安感の表現も、PVとして大変キャッチーでハイレベルなものに仕上がっていると思います。

きわめて技巧的な作品、と感じました。


原作のAA作品からそのまま持ってきたのだろう、精神系・自虐的なフレーズが画面を飛びかっていますが、さりげなく「アニヲタ」なんて関係ないフレーズを紛れ込ませているあたり(笑)、作者氏は元ネタのAA作品におけるそれらの表現自体をあまり信望していないように思います。作者氏が描きたかったのは、画面の大きさが変化するエポックメイキングなアイディアや、PVとして「言葉をデザインとして用いる」ことの快感だったのではないでしょうか。連呼される言葉に求められるのはその含有する意味性よりも、単なるテクスチャーとしての面白みであり、作者氏自身も後者の方を追求しているように見えました。


見せ掛けのテーマさえメタ的に分解しているという点で、テクニカルな面だけでなく内面的にも高度に「技巧的」と呼べそうですが、こんな作品を作ってしまって「ぽろろ」のファンは怒らないのか、ちょっと心配なところではあります(←余計なお世話)。

青春文学系Flash二連発です。


内容はそれぞれ大きく異なるものの、どちらの「(今の自分から)見上げた空」をテーマとして、自分の現在の立ち位置を確認するオチがついているのが興味深いです。若者の感じている現代的な閉塞がどーだとか、いくらでも詰まらない解釈は出来そうですが、おそらくまだ年若い作者の、素直な表現衝動から生まれたこれらの作品を、そのままで率直に受け止められるような「余裕」も、受け手は持っているべきだと思います。


昨今、僕含むスレた大人の間では中二病だの何だのとこの手の作品に対するメタ遊びが後を絶ちませんが、そういったメタゲームの不毛さに自覚的であるならば、こうした作品をして余計な「解釈」をつけてあれこれ語るのは大人としての矜持に反するような気もするので、詳細にはあえて触れぬままにしたいと思います。が、現在中高生の方は見て損は無い作品だと言う事は書いておきます。


作品とは直接的に関係はありませんが、こうした作品が多く生まれて、しかも割と好意的に需要されているのが、他メディアに比べたWEBアニメーション全体の「若さ」のようにも思えて、WEBアニメファンとしては何となく幸福な気持ちになります。

同企画の応援ページですが、TOPに掲げられているFlashが素晴らしいので紹介を。


鮮やかに再現されたFlashのエディター画面に、たどたどしく引かれる一本の線・・・これだけでも「まだ始めたての不安な気持ち」を表現するには十分に思われましたが、驚愕すべきはこの後、たどたどしかった線がいつしか拙いながらも「教室」の絵を描きだし、さらにそれに鮮やかな色彩が付け加えられていく過程です。そうして出来上がった画面の爽やかな美しさ!表現に対して真摯であれば、技術力など関係なく、人の心に何かを伝える事が出来るという事実を聡明に描き出して見せるこの手腕、まさに「これからFlashを始める初心者へのエール」としてこれ以上無い出来でしょう。CM作品に要求される短時間・短期制作という制限を恐らくは背負いながら、これほどの完成度の作品を仕上げた作者氏に脱帽です。

絶妙なダサカッコ良さのある作品です。テクニック的には普通のスタイリッシュなPV作品なのですが、何しろ扱う題材が「つまようじ」なので(笑)、どんなにカッコつけても殆どギャグにしか見えなくなっています。
「材質・白樺」「全長・6.5cm」といったつまようじの特徴説明が「num1000」ばりに挿入されるシーンで既に込みあげるものを押さえきれなくなってきて、その後の如何わしすぎる「10万年前・・」のシーンに至ってついに溜め込んでいたものが爆発、最後の「時空を越えて存在するつまようじ(どんなだよ!)」のフレーズまで爆笑の連続でした。
作者氏がどこまでこれらの「笑い」を「狙って」いたのかは判然としませんが、普通のPVとしてもネタとしても、一度見て損は無いユニークな作品に仕上がっていると思います。

完全にフィクショナルな存在だった一本の「線」が、やがて現実世界と溶け込んでいく過程を大変興味深く見ていく事が出来ました。虚構と現実の融合、と口に出してしまうと何だか陳腐な感じがしますが、現実を超越して大変シュルレアリスティックな画面描写とアニメとしての「絵遊び」の楽しさ具合は、どこか(まだアニメーションの頂点にいた時代の)ディズニーの影響を感じさせ、根源で漫画やイラストレーションに由来を持っている日本のそれとは一風違った味わいがあります。