信孝の野望

久しぶりの時事ネタ。


ニューヨークで町村外相が大胆な政策スピーチをしたという報道が昨日入ってきた。

 訪米中の町村外相は29日午後(日本時間30日未明)、ニューヨーク市内で政策スピーチをした後、聴衆の質問に答える形で、台湾問題について「もともと台湾は日米安保条約の対象になっている」と述べた。同条約の極東条項の地理的な範囲に台湾が含まれると指摘した発言とみられるが、日本の外相が台湾を日米安保の対象と明言するのは異例だ。

 町村外相は、2月に日米で合意した共通戦略目標について「そこで台湾(問題の平和的解決)を述べたからと言って、日本の防衛線がそこまで拡大したかというと、もともと台湾は日米安保条約の対象になっている。今までの日本の台湾政策と全く変わっていない」と語った。

 日本政府は極東の範囲について「フィリピン以北並びに日本及びその周辺の地域であって、韓国及び台湾地域を含む」との見解を示してきた。ただ、中国は日米安保強化が台湾の自立化を促すことを懸念しており、日本側も中国を刺激しかねない台湾への言及を避けてきたのが実情だ。

 町村外相はまた、質疑の中で、日本の歴史認識について「日本はちっとも反省していないと言われるが、ドイツの政治リーダーより、はるかに何度も、たくさんおわびしている」と語った。

この報道を受けて、「カレーとご飯の神隠し」のカリー氏が立てたエントリーがこちら

どちらも相手の質問に対する返答です。
台湾の件は仰っている通りで、今までは中国に配慮するために明記しなかったに過ぎません。これは米の識者の質問に対する返答だと思うのですが、ここまではっきり言えるのは凄いです。

二つ目の歴史認識と反省の件についても、良い仕事してます。
「国内で言えればもっと良いのに」という声もあると思うのですが、政治的にも外交的にも国内で発言するメリットはデメリットに劣ります。
逆に国外――特に今回のような各国代表が注目しうる場――での発言のほうが遥かにメリットがあります。

これは誰に向けての発言か、ということになるのですが、国内に向けて発言しても日本国内の動きを中韓朝は注目していますから、すぐに反発されるわけです。そしてその他の国は日本国内の発言にはあまり注目しないので、スルーされます。
つまり国内で発言した場合、中韓朝に反発されるだけで終わるのです。

しかし今回のような場で発言すれば、他の国もその発言を聞くことになり、より影響があります。
そして中韓朝は日本国内に注目しているので、逆にスルーしそうです。

先日のAA会議での首相のスピーチといい、「日本は謝罪している」ことを諸外国に印象付けるのは非常に重要なことです。
以前謝罪してしまったのに、謝罪する必要は無いと開き直っては、外交の一貫性が無く、信頼を失うだけなのでちょっと無理です。

このエントリーのコメント欄に僕が書いたコメントは下記の通り。

台湾に関しての発言はともかく、ドイツと日本の比較論は今月14日の参院外交委での発言のリピートにすぎないと思いますが。
(参考:http://www.asahi.com/world/germany/news/TKY200504140233.html)
ちゃんと海外に向けて発言したことは評価すべきと思いますが、上記発言との絡みで読みますと、結局国内向けのアピールに転化する腹積もりのようにも見えます。
町村外相は基本的に有能ではあると思うんですが、どうもやり方がいちいちアジテーターっぽいのが個人的にイマイチ信用出来ません・・・。まあそんなこと言ったら小泉首相だって「ワンフレーズポリティックス」の人として否定しなければならないことになってしまうかも知れませんが。
Posted by うぼし at 2005年04月30日 23:49

上記コメントに対してのカリー氏のレスは下記の通り。

>うぼしさん
これですね。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kaigirok/daily/select0104/162/16204140059007a.html


これを見ても、「ドイツよりもたくさんおわびしている」という発言は初出です。今回はこの点を強調したことに意義があると思うのですが。
Posted by カリー at 2005年05月01日 00:27

僕が書いたのは朝日新聞の4月14日の記事「戦後処理でドイツとの違い強調 町村外相参院外交委で」、カリー氏が書いたのは記事の元ネタにされた参議院の議事録。
内容をそれぞれ全部と一部引用する。

 町村外相は14日、参院外交防衛委員会で、韓国の盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領が日本とドイツを比べて、日本の歴史認識を批判していることに対し「単純にドイツと比較というのはいかがなものか」と反論した。

 外相は「日本とドイツが似たようなことをやったというが、ドイツはユダヤ民族を抹殺するという大犯罪行為」と指摘。「人数や性格の差を議論してもしょうがない部分があるが、彼らは(ナチスを)ドイツ人とは別の種類の人たちだったといわんばかりに全部ナチスのせいにすることができた。そういう分類は日本ではなかなかできない」と日独の違いを強調した。

 ドイツは戦後、ナチスによる犯罪を徹底的に追及。侵略したポーランドと歴史教科書を見直す共同研究を行い、実際、教科書にも反映させた。盧大統領は、独紙のインタビューなどで、「日本の態度は人類社会が追求すべき普遍的価値観と合わない」「ドイツが過去を自ら克服して隣国との関係を改善したのは驚くべき力量だ」などの発言を繰り返している。

○緒方靖夫君 ですから、認識がずれていると、そのずれをやはりきちっと、まあ戸惑っているということじゃなくて、やはり理性的に、やはり冷静にそのずれを分析し、検討していただきたい、そう思うんですね。
 教科書のことを言われましたけれども、例えば今回合格した歴史教科書の中では、韓国の併合について、日本政府は日本の安全と満州の権益を防衛するため韓国の併合は必要であると考えた、これは当時考えた歴史的事実かもしれませんけれども、しかし、このことが何も注釈なしにぽんと教科書に出る。これについては、韓国の人たちは、また歴史学者は、政府も含めてかもしれませんけれども、村山談話から後退している、そういうふうに見てしまう、そういう現状があるということもしっかり踏まえていただきたいと思うんですね。
 そして、今年は戦後六十周年になるわけですけれども、やはり同じ過去を通じて教訓を得る。例えばドイツですね。ナチス・ドイツの行ったあの戦争を徹底的に批判して次の世代に引き継ぐ、そういうことをずうっと繰り返してやってまいりました。その結果何が起きているかというと、例えば、昨年、ノルマンディー上陸作戦六十周年が行われましたけれども、連合国の首脳とともにドイツのシュレーダー首相がそこに参加する。そこでなかなか立派な演説をしているんですよ。どういうことかというと、我々ドイツ人は戦争を始めたのはだれか知っている、我々が歴史を前にした責任を自覚しており、それを誠実に担っていく、そういうことを言うわけですね。そして、結論的に言えば、全欧州とドイツをナチスから解放する重要な出来事がこのノルマンディー作戦だったし、契機をつくったという意味ですね、そういう評価をしているわけで、その点ではドイツと欧州諸国の、まあ世界と含めてもいいかもしれませんけれども、歴史認識は共通のものになっているわけですね。
 私はやはり、大きな作業が必要だと思いますけれども、日本もそういうふうにして間違っていることは間違っているということをはっきり述べる、そして信頼関係をつくっていく、このことが必要だと思うんです。そのことを抜きにアジア諸国との信頼、善隣関係ということはつくっていけないと思いますし、そうすることが日本の大局、そして国益に沿った道だと、そう考えているところです。
 もし大臣の方から何かありましたらお聞きして、質問を終わりたいと思います。
国務大臣町村信孝君) 時間が迫っているようですから手短にいたしますが。
 日本のそうした歴史認識を表明をしたその内容について僕は韓国と中国との間でずれはないんだろうと、こう思います。ただ、むしろそれが言葉だけであると、行動が伴ってないと、そこにどうもずれがあるのかなと思ったりもしております。
 ドイツのことについてちょっとしゃべり出すとまた何分も掛かってしまいますから今日はあえて触れませんけれども、日本とドイツが同じ、類する、似たようなことはやったじゃないかと言うけれども、しかし、あのドイツの、ユダヤ人という、ユダヤという民族を抹殺するという、それはもう物すごい正に大犯罪行為とでもいいましょうか、の余りにもその衝撃の大きさと、日本の戦前やったこと、もちろんそれは人数に差があるとか性格に差があるということを議論してもこれしようがない部分もありますが、しかし彼らはある意味ではナチスというものにすべてを押し付けることができた。ナチスが悪いんだ、何かあたかもナチスという全く別の人たちがいて、これがあれはやったんだと。もっと言えば、これはドイツ人とはもう別の種類の人たちであったと言わんばかりのことで全部ナチスのせいにすることができた。
 しかし、どうもそういう分類といいましょうか、は日本ではなかなかできないんですね。まあどうできないかというと、ちょっとこれ以上、済みません、もう理事からおっかない顔をしてにらまれましたからこの程度にいたしますけれども。いろんな意味で、日本とドイツがあたかも同じようにやって、で、ドイツはよくやっている、よくやっているということを盛んにこの間も盧武鉉大統領言われたそうですが、それは国情も違うし、戦前あったことも違うし、戦後の対応も違うし、そういう意味で私は、単純にドイツとの比較というものはいかがなものかと、こう思っております。
○緒方靖夫君 重大な問題含まれていると思いますけれども、時間ですので終わります。(強調原文ママ)

原文を読むと、町村氏がドイツについて述べたのは共産党議員緒方靖夫氏の発言に対するカウンターとしての意味合いが強く、朝日新聞の記事の「盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領が日本とドイツを比べて、日本の歴史認識を批判していることに対し」という書きかたはやや恣意的であるようにも見える。


これを受けて、町村氏に批判的な「gachapinfanのスクラップブック」のgachapinfan氏が4月15日にエントリーを書いている。一部を引用する。

外相が言うな外相が、と。
反論の仕方が悪い。というか、反論するさいの政治的配慮が欠けている。こんなに内向きでいいのだろうか・・・。

  要するに彼の発言は、過去に企業犯罪のあった企業の広報担当が

 〔犯罪被害にあった組織の後継代表が、当社を〕単純に某社と比較するというのはいかがなものか。某社と当社が似たようなことをやったというが、某社がやったのは大犯罪行為。人数や性格の差を議論してもしょうがない部分があるが、彼らは(内部の集団を)従業員とは別の種類の人たちだったといわんばかりに全部ナチスのせいにすることができた。そういう分類は当社ではなかなかできない。

と、株主との公式会合で言うのと同じである。

  「われわれは、責任を誰かになすりつけない点でドイツよりも誠実だ」と。
しかしなあ、それじゃあ責任を認識しているのかというと、彼らの場合、「あれはふつうの戦争だから特別な責任は生じない」とくるわけでしょう。それって責任を認識してることになるのかなあ。再発防止に向け努力しますってことになるのかなあ。

町村氏の著書「保守の論理」を僕は読んでいないので、はっきりした事は言えないのだが、彼の「外国に対する政治的配慮の無さ」はある程度意図的なものなのではないだろうか。
つまり、彼は自身が強固な信念として持っているはずの「保守の論理」を、米国の協力の元に世界に膾炙するという野心を持っているのではないか。「日本が外国に合わせる」のではなく、「外国が日本に合わせろ」というメッセージが彼の発言の端々からは伺えるように思う。
あるいは、アメリカのネオコンに直接の影響を受けた、日本流の新保守主義がついに外交の曲面でも発揮されるようになったというか。


「良い意味でも悪い意味でも、町村氏こそがポスト小泉の最有力候補だ」という読みは、そうした意味で当たっているように思う。

 今後とも日米関係の重要性が損なわれることは決してありません。特に経済力に関しては、日米両国で何と世界全体の経済の4割を占め、世界のODA総額の約40%を提供しています。しかしながら、日米間には経済力以外にも共通点があります。すなわち、日米は、自由、民主主義、市場経済といった基本的な価値を共有するとともに、安全保障及び国防における、揺るぎない、そして信頼する同盟国でもあります。日本は、米国との関係の更なる発展を外交の最優先課題と考えています。

 我々は、これまでも、日米安保体制の強化に向け、弾道ミサイル防衛の導入や有事における国内法制の整備などを推進してまいりました。米軍はトランスフォーメーションを進めていますが、日本側においても、新たな安全保障環境を踏まえ、一般的なあり方を新たに構築するなど、日本版のトランスフォーメーションを進めています。そのような中で、米国との間では、在日米軍の兵力構成見直しを進めています。我が国としては、沖縄を始めとする地元の負担の軽減を図りつつ、在日米軍の抑止力の維持・強化を図っていく考えです。

 日米同盟が如何に迅速に発展してきたかを実感する時、その同盟の力にはまさに驚かされるものがあります。150年前、日米は他人でした。その後、まさに100年前の日露戦争の講和の仲介に乗り出したのは、ほかでもないセオドア・ルーズベルト大統領でした。第二次世界大戦後は友人となり、今や、かつてマンスフィールド大使が述べたように、文字通り世界で文句なしに最も重要な二国間関係を誇っています。

上記引用元には、ドイツに関する発言があったと思われる質疑応答は含まれていない。

以下蛇足。
僕も含む北海道の住人には、町村信孝氏という政治家、さらにはその父親である元北海道知事町村金五氏について複雑な感情を抱いている人は多いのではないかと思う。北海道知事として札幌オリンピックに至るまでの北海道の成長過程を支配した父・金五、その父ですらなれなかった日本国首相のポストに就くべく外務大臣として辣腕を振るう息子の信孝・・・・。北海道から出馬してるんだから当たり前だが、選挙の際に彼らを支持してきたのは常に北海道の住民だった。地方としては例外的に民主党が強いと言われるこの北の土地で、自民党員としては異様なほどの支持率を誇ったこのサラブレッドに対して奇妙な反撥心を覚えるのは、田舎者にありがちなサヨク的心性が僕の中に残っている証拠なんだろうか、なんてどうでもいい事をふと思う。

■ 戦後の教育は、田中美知太郎の路線が主流になったわけである。しかし、大事なことはこの路線が唯一近代の枠組みではなかったということである。町村金五は北海道知事になる前に、警視総監をやっていたときがある。戸坂潤が「京都学派」からマルクス主義に移行した後、治安維持法違反に問われ投獄された。その時の警視総監が開成時代同級生であったあの町村金五である。開成時代、町村は「校友会雑誌」の論説で、キリストは人間だが、天皇は神である。皇室中心主義の近代国家を建設して世界を制覇する覚悟を語っていた。後の官僚主導の近代化推進者の種がすでにそこにあったのである。これも近代の捉え方の一つである。田中美知太郎とは全く違う。一方、戸坂潤は同雑誌で国家というものは戦争を引き起こさざるを得ないという国家進化論を堂々と唱えていた。このときは、一見日本の戦争を正当化する論理だと町村金五には思えたのかもしれない。しかし、それは戸坂が大学教授になったとき、だから国家は死滅すべきなのだというマルクス主義に結びついてしてしまった。これも近代の枠組みの捉え方の一つである。同雑誌には、キリスト教民主主義を唱える生徒もいた。近代をさまざまな角度から捉え返していたのが当時の開成学園の学生たちだったのである。