手段とその目的について

  • 以前にも書いたが、「ブログ」なんぞ突き詰めれば所詮技術でしかなく、そのツールを用いて構築される内容そのものに何かしらの束縛やアドバンテージを付与するものではない。ブログに内容を与えるのはあくまでもそれを使う「人間」であり、技術ではない。
  • 「ブログがあればウチのパパもジャーナリストに!」みたいな言説が根本的に間違っているのは、何かをジャーナリスティックに考える能力はブログから与えられるのではなくその個々人が自力で身につけねばならないという視点がぽっかり欠け落ちているからだ。ブログを持てど鉛筆を持てど、書けない奴は本当に書けないしジャーナリズム能力が無い奴は本当に無い。それは例えば時事批評系のブログの大御所と言われる人々が、現実世界で企業の社長である切込隊長だったり、元記者である藤代裕之氏だったりする点からも明らかだ。彼らはブロガーになる以前から「時事を批評する」能力を身につけていたわけで、それをweb上で改めて人々の前に開陳して見せたに過ぎないというのが両者のサイトのヒットの真相である*1。「ブログはモテる人が更にモテるためのツールだ」と言ったのはどなただったか失念してしまったが(笑)、これは「ブログは持てる人が更に持てるためのツールだ」とも言い換えが可能だと思う。
  • 僕は昔から「理系の奴にはどう頑張っても敵わない」というコンプレックスを持っているのだが、それは理系の人々が常に現実的・技術的側面から物事を更新していくのに対して、文系はその上に乗っかってゲンロンだのゲージツだのといったあまり世の中の役に立たない事象に携わるしか仕事が無いからだ。偉いのは世界を革新していく技術者=理系であって作られた道具を使って黄色い声を上げるだけのミーハー=文系ではないのは明らかだ。
  • 当然の事だが、技術屋さんのモチベーションを保つのは高い収入であり自身の名誉である。それは「ツールを使うもの」が必死こいてその道具を使うこと無しには得られない。「このプログラムorアプリは凄い」「金になる」という評判が立ってソフトが売れれば、技術屋さんの生活は安泰だし、客により満足を与えるために更に技術を革新しようという流れも当然生まれてくる。どうも「ブログ」について論じたがる方々の間ではこのような事実が捨象されているように見えるのも、僕の感じる違和感の原因の一つだ*2
  • で、これらはFlashにも全く同じ事が言える、と。
  • 僕は個人的感情としてFlashで作られたアニメーションが好きだし、今の流れが衰退しないで続いて欲しいからこんなとこでちょこちょこ駄感想を書いているのだけども、「Flashがあればウチのパパもアニメーターに!」みたいな頭の悪すぎるアジを飛ばす馬鹿にだけはなりたくねえなあ、と切に思う*3

*1:なお、一部の方々が主張している「ブログはその簡便さでもって「持てる人」をインターネットに引きずり出した」という主張はそういう意味で正しい(ex.bewaad氏

*2:「essays :: weblogs: a history and perspective(Japanese translation)」の日本語訳を読むと、現在のブログの基礎となるプログラムを作ったと思しき人物の名前は幾つか見かけるのだが、彼らが「ブログの創造者」としてブログ論の中で積極的に語られている場面を僕は見た事がない

*3:というかそもそも僕は「個人制作のアニメーション」(という内容。形式に非ず)に可能性を見出しているのであって「Flash」というツールそのものに可能性を見出しているのでは全然無いのですが。その辺結構誤解されてるかも!?と自意識過剰に言ってみる