パクリパクられ幾星霜

僕がいつも巡回しているブログ「地球儀の螺旋」のtragedy氏が、「HIGHWAY61」というロックバンドについて下記のようなエントリーを執筆されていた。

http://www.shii.net/404.php?u=vip8149(フラッシュ)
http://blog.livedoor.jp/one_after_511/(まとめサイト)

哀しい話だが資本主義に毒されているオトナ帝国においては、それが明らかな盗作であっても、しらばっくれてバカ相手に盗作品を売りさばいて金を儲けることが優先される。河口恭吾の時も結局河口は謝罪すらせず、未だにのうのうと盗作曲をメディアで垂れ流して印税を稼いでいる。本来こういった欺瞞の構造を撃つのはジャーナリストの役割なのだが、レコード会社と癒着しきったマスメディアにそんな気概があるはずもなく、歌手本人も様々な摩擦を恐れて立ち上がらず、障害者支援団体から著作権料を分捕っていくJASRAC(通称カスラック)は、こういった本物の著作権侵害に対してはなんらアクションを起こさない。どこもかしこも腐ってる。

だからこの手のパクリに対しては、利害関係の一切ないインターネットの名もなき住人の指摘が唯一の抵抗になると思う。グーグルで「河口恭吾」を検索すると、オフィシャルサイトの次の次に「河口恭吾「桜」疑惑まとめサイト」が表示されるのは一服の清涼剤である。表現者としてのモチベーションがその辺のブロガー以下であるハイウェイ61(笑)とやらを恥辱の海に沈めるのだ。

既に大騒ぎになっていながらなお私がこのエントリを取り上げるのは、とにかく一人でも多くの人にこの手の問題を知ってもらいからで、賛同していただける方は是非ご自分のブログで紹介してもらえると幸い。

http://www.pictex.jp/blog/archives/2004/11/post_129.html

邦楽界の知欠健太郎先生*1命名する。

これを読んで思いだしたのは、「おまえにハートブレイク☆オーバードライブ」(復活おめでとうございます)の栗原裕一郎氏によるORANGE RANGEに関する文章。

「ZUNG ZUNG FUNKY MUSIC → ドリフのズンドコ節(ザ・ドリフターズ) サビ」
ズンドコ節!?
聴くとたしかに「ズンドコ節」である(笑)。面白すぎますよおまえら。おれを殺す気か(笑)。
感心のあまり、いちおう持ってはいたもののろくに聴いていなかった『musiQ』を引っ張り出し、「ZUNG ZUNG FUNKY MUSIC」にしみじみ聴き入ってしまう。わりかしクール&タフ方向、つまりカッコイイ方向へ振った曲といえそうなのに、冒頭がいきなり「ズンドコ節」なのだ。
うーむ、すごい。このコンテクスト攪乱は技(ワザ)としか呼びようがない。
assa氏の調査によると、オレンジレンジサウンド・プロダクツの要は(じつは作曲も)シライシ紗トリじゃないかとのことだが、いずれにしても、ここまでくると、ネタ割れをあらかじめ織り込みインタラクティヴィティを見込んだエンターテインメントの域に届いているとさえいえそうだ。
ジャパニーズ・ポップスにおいては「パクリ」それ自体が萌え要素である、という適当に書き飛ばしたヨタはもしかしたら思いがけず的を射ていたのかもしれないと、そんなことを考えながら腹がよじれた杉花粉の夜。

HIGHWAY61というバンドについて全く知らないどころか、音楽文化に対してまるで無知なずぶの素人である僕には、彼らの行いが「盗作」であるかどうかは判断できないのだが、この対象的な二文を読み比べただけでも、どうもポップスにおける「パクリ⇔非パクリ」の問題は、そうそう単純に割り切れるものではないという気がしてくる。
小沢健二の大ファンでご自分でもクラシックの研究をされているというtragedy氏は、勿論そんな事は承知で言われているとは思うのだが、なかなか面白い議論だと思うので、これら一連の「パクリ」問題について素人なりにちょっと考えてみたい。


まず、先に言った通り僕は音楽関係に素人なので他人頼みの読み解き方になってしまうのだが、bmp氏による音楽系ブログ「渋谷系@はてな*2ORANGE RANGEについての論考の数々や、asap氏による有名な論文「<パクリ>をめぐる論考。」などを読むと、音楽畑の人々は「パクリ」を芸術文化固有の現象として「研究」することはあっても、それが悪いとか良いとかいう一般人の多くが抱く価値観とは無縁であるように思える。
彼らが一連の「パクリ」を巡る議論をどのように捉えているかはリンク先を読んで頂くとして、個人的には渋谷系@はてなの1月19日のエントリーで引用されている「犬にかぶらせろ!」の速水健朗氏の見解が印象に残った。

パクリ球団じゃなくて糾弾だって。ポカーンとしてしまった。パクリがいけないっていう主張もオマージュとパクリの境界が云々っていう主張も、どちらもハゲしくどうでもいいというか、大前提が奥歯をガタガタ揺らしながら崩れていく思い。

だって、音楽って既聴感=「あーこれ聴いたことある。何だっけ?」っていう快感を楽しむゲームでしょ? 大昔は違ったかもしれないけど(サンプリングとかヒップホップ以前とかって話じゃなくて、それこそビートルズ以前の昔の話じゃない?)。

はっぴぃえんどとか大滝詠一とか筒美京平とか渋谷系の一連のやつとか聞いてる人って、普通は音楽通っていうふうに見られてると思うけどね。あと、パクリ方のうまい下手の問題だっていうんならオレンジレンジはうまいと思う。佐野元春とかに比べると格段に(笑)。


しかしこれでは、tragedy氏が言われている事への誠実な解答にはならないように僕には思える。彼らはあくまでも「芸術としての音楽」「カルチャーとしての音楽」を語っているのであって、僕のような一般庶民に「パクリ」が嫌われてしまう理由、つまり、より政治的な「パクリが生み出す経済的な利益」について語っていないからだ。
僕の印象だが、オレンジレンジにしろ何にしろ一連の「パクリ糾弾」に携わる人々を突き動かしているのは、それが芸術的にどうだとかいう理由などではなく(あれだけ運動が大規模になるからには音楽関係に疎い人も相当数関わっていると思うし)、純粋に「あいつらが嫌いだ/気に入らない、あいつらが活躍する事が自分達の利益にならないから」叩く、という非常に政治的な理由なのではないかと見ている。
それは別にオレンジレンジのアンチサイトこんなサイトがレイアウト的によく似ているとか言うこじつけ的な理由ではなく(笑)、世で「パクリバンド」呼ばわりされているバンドのほぼ全てが大メジャーでアルバムを10万枚とか売り上げている人々であること(インディーズだってパクリバンドは沢山あると思うのだが、それらが「パクリだ!」と叩かれたという話はあまり聞いた事がない)、そして彼らが「パクリの事実を知らない」一般人によって愛され、称揚されているという事実こそ、一連の「パクリ糾弾運動」の原動力になっているのではないかと思えるからだ。
そこにあるのは、要するに「俺達が汗水流して働いている時に、このクソガキどもは人のまわしで相撲をとって稼いでやがる!」という義憤である。tragedy氏が「哀しい話だが資本主義に毒されているオトナ帝国においては、それが明らかな盗作であっても、しらばっくれてバカ相手に盗作品を売りさばいて金を儲けることが優先される」と怒りをもって語られているのは、僕にはそういう意味に聞こえた。

そんなこんなでオレンジレンジについては何も言えんが、古谷の息子バンドの「I LOVE HIPHOP」に関してムカついたのは、やはりパクってる側がパクられた側よりも大金を手にしているのもあるかもしれんなぁ。音楽じゃないけど、「世界の中心で愛をさけぶ」も、ハーランエリスンの考えたキャッチーなタイトルを利用して大金を手にしている感じがムカつく。誰かハーランエリスンにチクんねーかなぁ。要するに、

パクった上でモテて金が儲かってるのがイケ好かねえ

って正直に言ってしまうが健康的だなぁ。タランティーノが好意的に観られているのって、一向にモテる気配が無いって所だよね。ミラソルビーノと付き合ってても、ルチオフルチのポエム・ホラー見せて寝られちゃったりしてたらしいし。(強調原文ママ)


音楽関係には門外漢である僕がこうした問題を見て思うのは、漫画や映画なんかでは「他人のネタをパクるような作品は大抵駄作」という、常識ではないがほぼ一般的に当てはめられる方程式があるのに対して*3、音楽ではたとえ「パクリ」でも優れたものを生み出してしまう人が相当数存在しているという、「元ネタ」とされる音楽を聞いていない素人にとっては非常に厄介な事実が存在しているという事*4。それは漫画や映画の「パクリ」の殆どが作り手の単なる怠慢から生まれるのに対して、音楽の場合は必ずしもそうではなく、「ミクスチャー」や「編集」の上手さという能力が、作品を評価する際の大きなポイントになっているという特殊な事情があるからなのだろう。


まとめると、(こと日本の状況に関しては)全部小沢健二が悪いってことになるかな。・・・・・・・・・・あれ?

●俺は、ばんばひろふみの『SACHIKO』だなあ。「幸せを数えたら片手であまる/不幸せ数えたら両手で足りない」、このリアリティーは尋常じゃあねえぜ?

小沢「嫌だねー(笑)」

大槻「でもサビメロは、ビリー・ジョエル『オネスティ』のパクりなんだよ?」

小沢「うわあ、そうだ」

大槻「でも筋少もパクリの曲多いですから」

小沢「僕凄え多いから。僕は身も蓋もないよお? 本当に」

●ははははは。

小沢「僕は本当にパクリの王様(笑)。もう凄い」


参考:ありふれた事件 #159(ニーツオルグ)、動物化するポストロック(インサイター)


追記:上の方で「パクリを糾弾されるバンドは多くが売れ線のバンドだ」というような事を書いたが、こちらのブログによるとどうやらHIGHWAY61の新曲は全く売れてないらしい。うーん、これで「パクリで大金を稼ぐのは欺瞞だ!」などと糾弾しても説得力が無いような気がするなあ(笑)。もっと批判すべきバンドというかプロダクションがあるんじゃないの*5

*1:少年ジャンプで連載されていた漫画「BLACK CAT」で有名な漫画家・矢吹健太朗氏の別(蔑)称。一部に盗作疑惑を持たれている。何故このようなあだ名なのかは彼の名前をよく見ればわかる

*2:私信:アンテナに追加して頂きありがとうございます。「アンテナ検索」でお名前が見えてビックリしました・・・・

*3:有名どころではディズニーの「ライオンキング」なんかパクリを差し引いても目も当てられない出来だったしな。あと「黒猫」もね(笑

*4:速水健朗氏の意見を批判するわけではないのだが、音楽を「既聴感=「あーこれ聴いたことある。何だっけ?」っていう快感を楽しむゲーム」として楽しめるのは一部の音楽通な人だけだろう

*5:思うのだが、他人の曲を「パクる」こと自体が悪いのではなく、「他人のパクリとされる曲が売れること」が悪いというのであれば、バンドよりもそれをマーケティングする企業や広告会社を糾弾しないと批判が批判として機能できないような気がするなあ。特にオレンジレンジなんかは確信犯だから、いくら「パクリ野郎め!」って貶されても痛くも痒くもないだろうし