「パロディ・フラッシュ・フェスティバル(仮)」への反対表明

書くべきかどうか随分迷いましたが、自分なりに結論が出たので意見表明をさせて頂ます。
現在、「パロディ・フラッシュ・フェスティバル(仮)検討委員会」にて開催が示唆されているFlashイベント「パロディ・フラッシュ・フェスティバル(仮)」は、開催すべきではないと思います。

  • 理由1:時期尚早である

ロッカールームさんによる「Nightmare City」のパロディ「NANAME CITY」、今イベントの主催者でもあるolo (,,・д・)さんによる「英雄にはなれない僕らだから」のパロディ「将軍にはなれない僕だから」、同じくGスタのなんでもない場所さんによる「峠を走れない幼稚園児だから」は、僕も大変楽しく見させて頂きましたし、それぞれ原作のエッセンスを生かしつつ、適切なパロディナイズを行った良作だと評価しております。
今後もこのようなFlashアニメのパロディ路線が続くことは、Flash始めとするウェブアニメーション文化全体にとって良い傾向だと思います。


何故そう考えるのかと言えば、元ネタを知っている事が作品を楽しむ為の必須条件である「パロディ」の有効射程が広がるということは、「元ネタ」であるウェブアニメ作品の有効射程、すなわち一般への知名度が高まると言う事だからです。
少なくとも現在ではインターネットを使っている一部の人が知っているに過ぎないウェブアニメ知名度を、一部以外の層にも拡大する為には、勿論パロディ*1以外のオリジナル作品がヒットする事が不可欠ですけれども、そうしたヒット作をパロディした作品が、ヒット作と同等、もしくはそれ以上のヒットを記録したならば、当然(パロディ作品を)見た人の興味は元ネタとなった作品に向くでしょうし、それを繰り返していけば元ネタとそのパロディ含めたウェブアニメーション作品群の知名度をさらに広げていくことに繋がると考えられるからです。


今回の三作品はいずれも2ちゃんねるFlash・動画板内のFlash作者氏の手によるものであり、またパロディ対象となった「Nightmare〜」、「英雄には〜」はともにFlash・動画板周辺で知名度の高い作品であったため、Flash・動画板の住人*2が受け入れられた層の中心と見るべきで、Flash・動画板の存在を知っている以外の層にどれだけ受け入れられたのかは調査を行っていない為に未知数ですけれども、上記したようにこうした動きがやがてはウェブアニメを知らない層にも膾炙していく可能性は否定できないと思います。


しかしながら、今回oloさんが企画されている「パロディ・フラッシュ・フェスティバル(仮)」のように、ウェブアニメのパロディ作品を「ウェブアニメのイベント」の作品として集約してしまいますと、結局、パロディ自体が「ウェブアニメが好きな人によるウェブアニメファンの為の」ただの内輪ネタだと捉えられかねない危険性があるため、上記したような視点を取るならば、その存在意義自体に反対の立場を取らざるを得ません。
「全体のことを考えて」という言い回しがそれ自体傲慢であることは承知しておりますし、上記した観点自体が単なる僕自身の仮説でしか無い事も明らかですけれども、ウェブアニメーション自体が新興の文化であることを踏まえれば、その中から出てきた新たなる可能性の萌芽を即座に(文化の内部に)囲い込むような行為はあまり良い手段だとは思えません。
ウェブアニメというジャンルが十分成熟し、ウェブアニメのパロディが当たり前になった段階であれば、今回のような試みも十分有意義かとは思いますけれども、現段階では時期尚早としか言いようがないのではないかと思います。

  • 理由2:コミュニケーションが目的化する危険がある

これは今回のイベントに限った事ではありませんけれども、ウェブ上で一定のコミュニケーションを経て開催される「イベント」ですとか「企画」というものは、イベントや企画の内容それ自体よりも、内部での参加者同士の交流=コミュニケーションが目的化する危険を孕んでいます。
別にそれ自体を否定する立場では僕はありませんし、例えば「紅白Flash合戦」を見てFlash制作を始めたFlash作者氏が数多く存在するように、コミュニケーションが創作者のモチベーションを刺激する起爆剤となるのならば*3、それはそれで十分有意義であると思います。


しかしながら、図らずともoloさんご自身が「パロディ・フラッシュ・フェスティバル(仮)検討委員会: イベント作品としてのパロフラの問題点」で述べられているように、パロディFlashをイベントとして一斉発表するに当たって、イベントの正当性を保持する為に原作者とのコミュニケーションを取らざるを得ないのならば、コミュニケーションを初めから拒否したい原作者氏はどうなるのか、という問題が起きてしまうように思います。以下引用させて頂ます。

それに対して「パロディ」は、「似ているけれど全然違う」ものなので、楽曲やキャラクターを借用しないのであれば、基本的に原作者さんに許可を取る必要はありません。それは、世に出ているパロディ映画などを見ていただければ分かると思います。


しかし、中には「自分のFLASHのパロディを作るなど、とんでもない」と思う方もいらっしゃるでしょう。私は今までそのような方に会ったことはないのですが、作品の世界観を大切にされている職人さんなどは、パロディを嫌う可能性があります。もしそのような職人さんの作品のパロディを作った場合、当然その職人さんから苦情が来ることになります。パロフラ制作はあくまでも「自己責任」ですので、その場合は謝罪して該当パロフラを削除すれば済みます。


しかし、イベントとして組織立ってパロフラを募集する場合、私には問題が起こらないようにイベントを運営する責任があるので、原作者さんが不快に思わないような策を講じなければいけません。


そこで考えたのが「事前許可制」です。パロディを制作する前に、事前に原作者さんに許可を取り付けておくのです。許可さえ取れれば、少なくともパロディを作ったことそのものに対する非難は回避できるでしょう。


しかし許可というのは諸刃の剣で、もしパロディ制作者が見るに耐えない酷い作品を作り、原作者さんが不快に思ったとしても、「許可を取った」という事実を盾にして、非難や苦情を逃れる可能性があります。これが現実世界であれば、「安易に許可を下した方が悪い」ということになるかもしれませんが、みんなで楽しむことを目的としたオンラインイベントなのに、そのような事態に陥ってしまうのは好ましくありません。

イベントに参加する方々同士のコミュニケーションは、それぞれの自主的な「このイベントに参加したい!」という意思に基づくものでしょうから、それを嫌う人はいらっしゃらないと思うのですけれども、最初から外野にいてイベントの存在自体を知らない、あるいは知っていても快く思っていない原作者氏から「事前に許可を取り付け」るのは至難でしょう。かといって、自分をネタにした作品がどんなにひどいものでも構わない、好きにパロディしてよいという寛大な原作者氏(当然問題なく許可を貰えるだろう原作者氏)の作品にパロディの対象を限定するのならば、それは多分に(原作者氏とパロディ作者氏との)コミュニケーションを前提とした、共犯的というか所謂「馴れ合い」的なものにしか成り得ないのではないかと思います。

  • 理由3:パロディならではの風刺精神を損ねる危険がある

これは僕の個人的な「(芸術の技法としての)パロディ」に対する考え方に基づく意見なのですけれども、理由2で書いた「コミュニケーションの目的化」の危険性とも関連して、パロディならではの批判精神・風刺精神をイベントという形式が損ねてしまうのではないかという危惧を持っています。
oloさんが「パロディ・フラッシュ・フェスティバル(仮)検討委員会: イベント概要(仮)」で引かれている、goo辞書の「パロディ」の定義を引用します。

パロディー 1 [parody]

既成の著名な作品また他人の文体・韻律などの特色を一見してわかるように残したまま、全く違った内容を表現して、風刺・滑稽を感じさせるように作り変えた文学作品。日本の本歌取り狂歌・替え歌などもその例。演劇・音楽・美術にも同様のことが見られる。(強調引用者)

強調部分に示すように、「パロディ」が元々対象に対する批評的意味を持つ事は明示されていますけれども、今回のイベントのように原作者の許可制の元に行われる「(元ネタを)傷つけないように行われるパロディ」では、パロディが持つ本来の批評的作用が上手く機能しない危険があると思います。かつて、ウェブアニメーションの黎明期にありながら「キミとボク」や「つきのはしずく」のような当時より知らぬもののいない有名作を風刺的にパロディナイズした公共料金氏の「PINK☆」のようなタイプの作品の提出を、「原作者の許可が取れない」という理由で拒んでしまうのならば、それはイベントという形式が内容の面白さを縛ってしまった例の一つになってしまうのではないかと思います。


・・・その、皮肉ではないので誤解しないでいただきたいのですけれども、イラク戦争が起これば「あるほしのおはなし」や「大統領の本音(ADDESS OF THE PRESIDENT)」*4を作り、北朝鮮問題が話題になれば「正男君と主体石」を作り、変な法案が提出されれば「人権擁護法ネタ画像集」を作る、oloさんのような方がパロディの風刺作用について無自覚だとは全く思えないので、何故今回、風刺の機能を封印してまでも本イベントを開催しようと考えるのか、そこが僕にはよく分からないのです。
いくら作品の出来がよく、また原作者が寛大だったとしても、自分に対して風刺的な物言いをされて全く不快に思わない創作者は少ないと思いますし、またそのような(当然予測されうる)問題をクリアする為のビジョンが明確に見えない為にこんな書きかたになってしまったのですけれども、もしこうした問題をクリアする方法が既に考えられているというのなら是非その旨お返事をお願い致します。


大変長くなってしまいましたが、現時点での僕の考えは以上です。
ウェブアニメーションにおける(自己批評の意味合いも含めた)パロディ文化を今後発展させていくためには、今回のようなイベントの開催はあまり有効な手段とは呼べないと思います。

*1:ここで言う「パロディ」はFlash始めとするウェブアニメのパロディのことを指し、商業アニメのパロディ作品などは除外しています

*2:お前の出自はどうなんだと言われそうですけれども、第一回紅白Flash合戦からFlashにのめりこんだクチ・・・だと言えば十分でしょうか?

*3:既にご存知とは思いますが、この辺りの議論については「ばるぼらの「教科書には載らないコンテンツの歴史教科書」: Flashアニメの歴史(第13回〜2003年のFlashアニメーション・その2)」に詳しいです

*4:公開を停止されてしまったようですけれども、今でも僕のHDDに保存されています