今日のFlash(「「Bの絵本」 ふたつめのお話」「「Bの絵本」 みっつめのお話」「くわがたツマミ」)

MUZO フラッシュエンターテイメント」で連載中のnamida氏の新作、「「Bの絵本」 ひとつめのお話」の続編です。


第一話ではどのような方向性でストーリーを展開するのかやや不明瞭な点も見られましたが(当時の感想はこちら)、二話三話と連載を重ねるにつれて次第に作品の全貌が明らかになってきた感触があります。今までの氏の諸作品以上に謎めいた世界観設定に惑わされがちですが、構造的には案外単純な物語生成のシステムが働いているようにも思えます。


二話においても三話においても、女の子がその子供ならではの純粋さと残酷さをもって、テーマとなる諸問題に直接あるいは間接的に関わり、問題解決の段階になってシニカルな大人の視線を持った謎の男「モザイク」が結論(のようなもの)を与えるというストーリー運びは共通しています。両話の最大の差異は前者が突然来訪した第三者としての「バク」、後者がモザイクの制作した玩具としてのロボットと対話する「女の子」当人が主役になっているという点にありますが、それぞれバクとロボットという「女の子」と「モザイク」の二人だけで形成された世界観を破壊するイレギュラー要素が問題を引き起こし「物語」を形成するというシステムに違いはありません。こうした一種の作中世界そのものに対するメタ言及から敷衍的に物語構造が推定されうる(意図的な)技法は、現代日本映画やアニメ作品で用いられているそれと同質のものをも感じさせ、作者氏の硬質なインテリジェンスを感じさせるには十分なものと思えます。
今後この構造が何者かによって破壊されるのか、それとも頑なに保持されたまま推移していくのかは予測できませんが、どちらの方向に転ぶにしろ、更に観客の想像を越える展開を期待するにこの二、三話のクォリティは十全なものと言えるでしょう。


現在のウェブアニメーションには作品の内容や中身それ自体よりも、単純にアニメとしての技術力の高度さや画としての美しさを追い求める作品が多く、勿論それ自体は悪いことではないのですけれども、本作のような純粋にストーリーの面白さを追求した作品が受け入れられる土壌が少ないように思えるのは残念なことのようにも感じます。こうした作品と対峙してただその不可思議さに惑わされるのではなく、手探りでも作品の内面性に(無粋にならない程度に)切り込んでいく姿勢は、作品とそれを受け止める自身の感受性を客観視するという意味でも必要なことに思います。
本当なら僕自身そうしたことが出来ればいいのですけれども、僕にはただこうしてわかったようなわからないようなしょうもない感想を書きつけることしか出来ないのが我ながら情けなくなりますが……。

踊るようなリズミカルな展開が楽しいアニメーション作品です。


ウェブアニメ、いやこの場合「短編アニメ」と言うジャンルで括った方が分かりやすいでしょうが、伏線を駆使した重厚なストーリーや複雑怪奇な設定の妙を駆使しにくい*1作品の性質上、それらが一般性を獲得する段階で*2必要となってくるのは、わかりやすい設定とキャッチーなキャラクター、直感的に感受出来る動画自体のラディカルな面白さだと思いますが、一見シンプルなようでいて実は獲得困難なそれらの要素を、本作「くわがたツマミ」は見事に満たしているように感じます。
NHK教育みんなのうた」で流れていそうなポップで印象的なメロディに可愛らしく秀逸なデザインのキャラクターが組み合わされ、アニメーションのもっとも原始的な快感原則を体現する様は、rumparo-titaの諸作品すら思い起こさせ、流石は「カレーパンのうた」で一斉を風靡した作者氏の新作だけの事はあると感じました。


上で紹介した「Bの絵本」とは対照的に、何も考えず見る事がむしろ推奨される、右脳で感じて楽しむべき理屈不要の面白さのある作品。犬猫子供でも楽しめること受け合いでしょう(注:ホメ言葉)。

*1:だからといってそれが「出来ない」という意味ではありません。為念

*2:最初から一般性の獲得を志向しない「アートアニメ」の場合は別