今日のFlash(「センカイキ 〜 Senkai - ki -(前後編)」「バスが来ない」)

センカイキ 〜 Senkai - ki -(前編)(後編)

ふらぽ」さん製作の人形劇風Flashアニメーションです。


Flashアニメーションにおいて人形劇的な手法を取り入れた作品はアマチュアの世界でも特に珍しくはなく、代表的な作品の例としては「可愛くなったありさん」のぴろぴと氏による「まーちゃんのりんご」、「N-GRAVITY」のnae氏による「ハクシャクノテンシ」などの著名な傑作があり、本作「センカイキ」もまた「人間界に降りてきた精霊と人間の交流」というメインストーリーからして、特に後者の「ハクシャク〜」の影響下にある作品ではないかと推察できるのですけれども、例に挙げた二作品との大きな違いとして、「ハクシャク〜」は(人形を操っているものが見た目には判断できない事から見て)「糸遣い人形劇」、「まーちゃん〜」は「棒遣い人形劇」風の体裁であるのに対し、「センカイキ」は「手遣い人形」をそのモチーフとして選択していることがあります。
ふらぽさんの元々の画風でもあるという、頭の大きなデフォルメの効いた人物造詣は、手遣い人形劇で用いられる人形のそれとマッチして秀逸ですし、また(意図的なのか単なる作画の労力削減のためなのか)、アニメの特性を取り入れて動きまくる「ハクシャク〜」のそれとは違い、ほとんどアニメーションせず静止画的に操作されるキャラクター達が、それにもかかわらず「まーちゃん〜」にあるような人工的で無機質な冷たさの感覚から逃れて生き生きとしているように感じられるのは、糸や棒を用いたそれではなく直接人の手で動かしていることが伝わる細やかな挙動*1の表現の賜物でしょう。


また、これは「まーちゃん〜」と共通する点でもあるのですけれども、「人形劇」としてのストーリーを進行させると同時に、幕間の場面などで背景のセットや人形を(”操演者”の手によって)片付けたり準備するという「メタ人形劇」を進行させていることも注目されます。「まーちゃん〜」においてはシニカルな悪意の表現として機能していたそれが、道徳的でヒューマニスティックなストーリーと、(時にはコメディリリーフの役割さえ担う)可愛らしいキャラクターを通過した事によって、かえって作品のアットホームな雰囲気を強調することになっているのは面白いです。しかしあのウサギやクマのキャラクターは本編と何の関係も無いように思えるのですけど(笑)。


上記したような技法をフルに活用するために選択したのだろう、ベタな物語性を含めて完成度の高い作品と感じましたが、「天界」側のキャラクターが多すぎるためか、リンク先のFlash作品の下にある説明を読まないと、登場人物の人間関係がスムーズに理解できないのは、児童向けアニメーションとしてはやや不備な点であるようにも思いました。いっそのこと、あまり出番のない「神様」のストーリーを削ってでも、「石の精霊イセ」と「少女」の物語に力点を置いた方が、作品の内容がクリアに伝わるものになったかもしれません。
あと、細かい点ですけれども、画面下部に表示される「登場人物のセリフ」の部分が、どのキャラが喋っているのか分からなくなる場面が少々見られました。セリフをキャラクターごとに色分けするなどの処理を施せばより解りやすくなるのでは…。


参考:人形劇・人形の種類いろいろ

バスが来ない

2ちゃんねるFlash・動画板のFlash作者「蚤様部屋」さんの新作です。


浅草系和洋ちゃんぽんすちゃらか楽団はらいそ」の製作による、アンダーグラウンドないかがわしさを隠さない原曲を、「バスが来ない」という歌詞を利用して、多くの人に広く受け入れられそうなポップでムーディーな作品に仕立て上げた作者氏の手腕が見事な一作です。蚤様部屋さんは他にも深夜アニメやサブカル番組・CMに題材を得た作品を数多く発表されているのですが(作品一覧は「蚤様部屋-FLASH-」にあります)、そのどれもが(原作にあっただろう)「オタクっぽさ」や「マニアックさ」といった「アク」を抜き取られて、どんな人にも見易い形に再構築されているのがわかりますが、これは偏に作風のポップさの賜物だと思えます。
本作「バスが来ない」で言えば、そうした解りやすい「バスが来なくて大変だ」という単純なテーマが前面に押し出されたことによって、原曲が持っていたはずのアレゴリカルな奥深さが捨象されているのはどうなんだ、と思えなくもないのですけども、まあこれは殆ど好みの問題になってくるのかも知れません。


あと、これは「蚤様部屋」さんに限った話ではなく、最近の2ちゃんねる系(というかアスキーアート系)のFlashに顕著な傾向なのですけれども、アスキーアートを過去の2ちゃんねるFlashにあったような「2ちゃんねるのネタ」として扱うのではなく、純粋にビジュアル的な「可愛らしさ」や「面白さ」をキャラクターチョイスの動機として用いていると言う事があり、この「バスが来ない」にしても話の中身は完全オリジナルである以上、わざわざ2ちゃんねるアスキーアートを使わなくてもアニメとして成立できる題材であるにも関わらず、アスキーアートの見た目のインパクトや性格表現(本作であればドクオの表情など)をあえて用いることによって、更に作品をポップで解りやすいものにすることに成功しているのです。
また、このようにして作られた作品が、「2ちゃんねる」なんかマイヤヒー電車男でしか知らない子供達によって主に受容され、消費されているというのも、文化現象としてはなかなか面白いことのように思いました(別にエセ社会学がやりたいわけではないんですけど)。

*1:あくまで人形劇としてのそれであってアニメとしてのそれではない