「のまネコ」話の補足と反応してくださった方々へのレス

もうこの話については書かないなどと言いつつアップした前回のエントリー「「のまネコ」騒動はネット右翼運動の変形?」がニュースサイトやはてなブックマーク中心に(こんなネットの果て三丁目の弱小ブログにしては)異常な反響を巻き起こしており、驚いています。今まで書いてきたエントリーに比べると、論理的根拠に薄弱な自身の感覚表明の意味合いが強い内容だったのですが、これだけの方から反響を得ることができたことを考えると、やはり同じような事を考えていた方が多かったと言う事なのでしょうか。


ブックマークのコメントには「ネットでの活動が「ネット右翼運動」という特定の事象に飛躍するのはなぜか」とのコメントもあり、自分でもその辺の外堀の埋め方が甘いなあと思ったので、エントリーに対する反応なども読みつつ、今回の「のまネコ騒動」と「ネット右翼運動」の類似点を色々挙げたいと思います。

人権擁護法案反対運動との類似

今年3月から5月頃にかけて話題になったネット右翼系の運動として「人権擁護法案反対運動」が挙げられますが、この問題はリンク先のブログをはじめとするまとめサイトを中心に、各種ブログや2ちゃんねるなどで反対運動が行われており、その活動形態が今回の例と類似しています。
上記運動はその開始当初から「bewaad institute@kasumigaseki」のbewaad氏による一連のリジョインダーはじめとする数多くの批判があったのですけれども、一種の「お祭り」的な熱狂とともに活動の中心的な人物の多くはそれらの意見に殆ど耳を貸さぬまま邁進し、結果として反対運動自体が(法案自体は今回の衆議院解散によってめでたく廃案になったようですけれども)7月に入る頃にはほぼ収束してしまい、政治的活動としての価値をあまり持たないだろうものになってしまいました。
これはただの僕の勘なので根拠はないのですけれども、今回の騒動が上記反対運動と似たような経緯を辿っているとすれば、しっかりとした論理的根拠に基づかない「お祭り」的な運動として、ブームの終焉とともにその活動自体も収束してしまうのではないかという気がしてなりません。

あるものに対する「反撥」を核にした連帯

これは当該エントリーにリンクしてくださった「おしゃべりSchwaetzerの飲んだくれな毎日」さんの「反発を核にすると連帯しやすい」というエントリーに書かれていた意見なのですけれども、当該エントリーの補足として大変に有用な内容であるので、こちらのブログにも一部を引用させていただきたいと思います。Schwaetzerさんは以前からネット右翼の活動形態などについての論考をブログ上で発表しており、その中には「「ネット右翼」について、おおざっぱな試論」などははてなダイアリーでも話題になったエントリーもあります。
Schwaetzerさん、貴重なご意見ありがとうございました。

のま猫問題にもネット右翼にも共通した感情は、あるものに対する「反発」なのですね。(そういえば、「きんもーっ☆」事件も反発心が核になってる)


集団を作ろうしたとき、積極的に何かを成すための集団を作ることは大変です。

ある人が自分のやりたいことを、周囲の何の関係もない人を巻き込んでやっていくだけでも大変で、さらには人それぞれ意見もあり、利害も異なります。そういう人間たちを集団に作り上げて大運動をするというのは非常にむずかしいのです。


しかし、あるものに対する反対や反発なら容易です。

個々人の意見はそれぞれに違っていても、すでにあるものに対する「反発」なら、相手がやっていること、主張していることに対して反対すればいいだけで、こちらから積極的に何かを提案する必要はまったくない。個々の意見の相違は、「反対」の二文字で乗り越えられる。


これは、ネットの特性というより、リアルでも同じだと思います。学生運動さかんなりしころ、スローガンはやっぱり「○○反対」でした。安保反対、打倒岸内閣、米帝反対等々、今でも大学のタテカンには「反対」の二文字が踊っていたりします。


ネット右翼はなにに反対しているのかというと、「反日」に反発しているだけです。


ネット右翼に限らず、今30代前後の、いわゆる「団塊ジュニア」といわれる世代の「日本」とか「国家」とかに対する感覚は、非常に面白い。


まず、自分がだまされたと思っています。「なにに?」教育とメディアに。どうだまされていたのかといえば、左翼のイデオロギーを知らないうちに摂取させられていたんじゃないかと。自分は日本人なのに日本人であることを否定されていた。「日本の国益」とされるものを損するようなことばかり吹き込まれていた、だけどそれは違ったんだ、と。


じゃあ、あなたがたのいう「日本」とか「日本人」ってなんですか?と問い返すと、もうこれは千差万別、個々の意見の相違があらわになりますね。たとえば靖国や歴史に対する姿勢がいろいろでてくる。だけど、「反日」勢力はけしからんというこの一点では、一致結束できる。これで「ネット右翼」コミュニティができあがる。


うぼしさんは、幻想の共同体=日本にたいする外部からの介入を許さないと指摘されていて、それはその通りだと思うけれど、もう一面を指摘すると「ネット右翼」コミュニティに対する外部からの介入を許さないという側面もあるんじゃないか。

活動自体の帯びている政治的色合いの濃さ

僕の「のまネコ騒動ネット右翼運動」論で疑問視される点として、「インターネット上で生み出されたアスキーアートavex社が無断使用しているのが問題だ」という文化的問題に対する運動であるはずの「のまネコ騒動」と、反韓・反中・反左翼などの政治目標を掲げる政治的運動である「ネット右翼運動」を結びつけるのはおかしいのではないかというものがあると思うのですが、しかし上述の二つの補足でも述べたように、「のまネコ騒動」が本来あるべき文化的問題に対するアクションとしてのそれの範疇を超えて、独特の政治色を帯びていると僕が感じているのが、上記結びつけの直感的根拠としてあります。
そもそも、文化的側面のみを問題視するならば、ネット上で展開されているアスキーアート文化を、掲示板上のお遊び以外の領域に持っていく際に生まれる様々な齟齬、例えばネット上でオープンソース的に機能していたキャラクターを独自に改変した上で独占するのは許されるのか、とか、あやしいわーるどあめぞう2ちゃんねるという変遷を辿った現在のアスキーアート文化が依拠する「権力」の主体は存在するのか、とかの(前回のエントリーでもリンクさせて頂いたような)あやしいわーるど住人の方々が議論しているような内容こそがクローズアップされるのではないかと思うのですが、現在の「のまネコ」運動では、「AAキャラを勝手に使ったのが問題なのではない」とするような論調で上述したような問題をスルーした上、反対表明の為のポスターの製作だの関連企業への電話への抗議だの、果てには反対運動の為の社団の設立といった、左翼の市民運動家も真っ青の(笑)きわめて政治色の強い行為が「私達に出来ること」として実行されており、もはや元々の文化的問題は省みられてすらいないというのが、特に本問題の各種まとめサイトなどを読んで回った上での僕の率直な感想です。


推論なのですけれども、前回のエントリーでは、ネット右翼における「日本」を「2ちゃんねる」に、「国旗」を「モナー」に、「韓国・中国などの反日的(とされる)諸国家」を「avex社」に置き換えた上で双方の類似点を論じましたが、ネット右翼がその活動を規定する中心的なイデオロギーとしての「ナショナリズム」や「国粋主義」を持っているのと同様に、今回ののまネコ騒動を牽引する2ちゃんねる住人にも、その活動を規定する2ちゃんねる原理主義とでも言うべきイデオロギーが存在しているのではないかと僕は疑っています。まあ、そんなものが実際にあるとしてもその実態はせいぜい「ネットの世界は2ちゃんねる中心に回っている」「2ちゃんねる以上に重要なネットコミュニティなど存在しない」「2ちゃんねるはとにかく偉い」というような程度の考えではないかと思うのですけれども、壷が世界の中心で、全世界の90%を占めてるってな認識から論を切れる人が現実に存在しているところを見ると、あまり笑い話で済まされないんじゃねーかと言う気もしています。


以下はコメントやトラックバックなどで前回のエントリーに反応を下さった方へのレスになります。

2から来ましたさんへの返答

前回の記事のコメント欄より。

>「モナー」が「のまネコ」としてグッズ販売され始めた途端に烈火のごとく怒り出した

これは今までねらーがモナーだと思っていたものが、
急に『のまネコ』という名前に変えられたからでは?

そりゃ「だましたのか?」と思いその瞬間から火がつくわけですよ。

ネット右翼云々はよく分かりませんが、個人的には騒ぎ方が似てるだけであまり関係ないように思えます。

前回の記事中で「「のまネコ」が「モナーの類似品」としてコミュニティに(半ばムリヤリ)内部化されるのは許せない」という言い方をしましたが、2から来ましたさんが2ちゃんねるから来られたならば、その「だましたのか?」という怒りがどこから生まれたのかをこそ言語化して説明して下されば、と思います。
あと、「騒ぎ方が似ている」ということこそが僕の論じたいテーマだったので、「騒ぎ方が似てるだけ」といわれてしまうと……(笑)。

一住人さんへの返答

前回の記事のコメント欄より。

一通り読んだ。

なんというか、管理人さんが、自分の意見がスルーされたんで、ヘソまげて叩く側に回っているようにしか見えないんだが・・・。

2chの一住人の極端な意見をことさら取り上げて、ネット右翼と決め付けるのはいかがなものか?

今回取り上げているようなやり方は、右翼左翼にかかわらず、ネット上(つまり、言葉=情報が全ての世界)では普通に見られる方法だし、それに対してレッテル貼りで対抗するのも、やっている内容は「自分の意見をもっともらしく見せ、賛同を得るための手法」=「ネットの世界でよく使われる手法」と同質のものであるに過ぎないことに気付くべきでは?

そうしたら、もう少し違った角度でこの問題を捉えることができるのではないかと思うのだが。

自分の意見が一度はスルーされて少し落ち込んだのは確かなんですが(笑)、むしろ僕としては「何故自分と似たような意見が2ちゃんねる住人の方の間にあまり見られないのか」のかの方に興味があり、つまりそれは僕が最初に問題としていたavex者の企業倫理の問題などが、本問題の中心的なテーマとして議論されていないからではないかと考え、運動自体を別の捉え方から見る方向に方針を変更しました。


一住人さんが言われるような「ネットの世界でよく使われる手法」として「お前はネット右翼だ」というようなレッテル貼りの手法があるのは確かですし、今回の僕のエントリーも結果としてそのようなものになってしまっている面があるなあとは思うのですけども、補足の部分で一部を引用させて頂いたid:Schwaetzerさんの意見にもあるように、「それはレッテル貼りだ」「それは偏見だ/極端な意見だ」というような反論で外部からの「批判」を無効化し、自身の主張に対する糾弾を回避しようとする姿勢もまた「ネットの世界でよく使われる」手法には変わりなく、「よく使われる手法だからダメだ」と言われるのであれば議論自体が成り立たなくなってしまいます。であれば、重要なのは「どういう手法でものを言うか」ではなく「どういう事を言うか」、つまり主張の中身についてであるはずで、それに対する「批判」が無ければ結局、その「批判」を無効化することは出来ません。


自分としては、たとえ実態が喩え話に過ぎないようなものであっても、(エントリー中でも述べたように)それ自体としては批判を加えるのが難しい事柄について、過去の事例を引きながらその正体を分析することには意義があるのではないかと考えていますし、それが前回エントリーに対する直接的な反応の多さとして跳ね返っているのではないかと思っています。

takyさんへの返答

前回の記事のコメント欄より。

非常に面白く読ませていただきました。

のまネコ」を一つのケーススタディとして考えると、
2ちゃんねるが消費されつくして、ネットの先端(主流?)
から滑り落ちることにたいする不安が「住人」にあるのかな……、
などと感じます。
ここらあたり、経済成長がかげる日本にかぶりますよね。

2ちゃんねる」=「ネット界の団塊の世代」という捉え方。

# 一応表明しておくと、私はavexのやりかた自体には、あまり良い感情を持っていません。
# が、大きな視点で見てみると、そういった潮流が見えるなぁ、と。

ネット右翼と呼ばれるような人々が登場した背景として、現在の日本社会の経済的不況による生活的なレベルでの不安の増大があるという主張は僕も耳にしたことがありますが、現在の2ちゃんねるは衰退しているというよりも、2ちゃんねる住人の方が自身のブログやウェブサイトを作って活動していることなどによって各方面へ拡散していて、それが今回の騒動が「2ちゃんねる」というコミュニティの内部に収まらず外部に拡大している原因にもなっているのかなあと。

おぉさんへの返答

前回の記事のコメント欄より。

 まったり読ませてもらいました。
2ちゃんねるも適度に利用していますが、のまネコ問題はタカラのギコネコ問題と比較しても
なんだか異質に感じています。ここに来てまた新しい見方が出来たことに
感激しています。ですが、やはり何か腑に落ちない部分もあり、
この問題の奥深さを感じてもいます。

 takyさんが書き込まれている内容も、また非常に参考になりました。

 今回の騒動ではエイベックスの行動が軽率に見えます。

avex社も、2ちゃんねる住人の方々のアスキーアートに対する意識調査でも事前に行っておけば、騒動の規模を現在より縮小できたのではないかと思いますが、今回の件では様々な意味でネット社会に対する無理解が露呈してしまっていますね。

てすとさんへの返答

前回の記事のコメント欄より。

少なくともモナー2chで生まれたことは明白
http://aahistory.kt.fc2.com/yakuba.htm
初代モナーとかならまぁまだわかる。ギコは2ch生まれではないけど。
これに反論したければ「それ以前にあやしいわーるどあめぞうモナーが存在した、という証拠を示す必要がある。
無いという事を証明する事は悪魔の証明だからだ。

リンク先を拝見しましたが、モナーの出所に関しては「これという答えが見つからない」とコメントがありましたが……。あやしいわーるど2ちゃんねるの文化に対する歴史的資料としては、今の所ばるぼら先生の「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」が一番詳しいと思うので、よろしければそちらをご参考に。

foursueさんへの返答

前回の記事のコメント欄より。

”「善意」によって意見の一致を見、複数人と連帯することになった集団が、(ネット右翼に通じるような)強力な結束力を持って団結し、自分の行為が果たして「正しい」のかということに(善意的な集団であるがゆえに)全く疑問を抱かぬまま邁進するのは、もしかすると極めて危険なことかもしれない。”

って言ってるだろ。ちゃんと読んだの?

んー、誰に対しての意見なのかよく分からないのですけども、揉め事は僕の専門ではないのでやめてくださいね!!11

「のまネコ」騒動はネット右翼運動の変形? について地球儀の螺旋)への返答

前回の記事トラックバックをくださったid:tragedyさんへのお返事です。ありがとうございます。

id:uboshi:20050912:p1


そういう話ではないと思う。


今回ののまネコ騒動で思い出すのが何かと言うと、『金田一少年の事件簿』の盗作問題なのだ。『金田一』が流行ったのは私が中学生の時だが、当時探偵小説の魅力にどっぷりと嵌り、古今東西のミステリを読み漁っていた少年にとって、トリックから設定から余所の作品をパクパクしまくって成立している漫画が売れているのは耐え難い現実だった。少年は『金田一』を読んでいる頭の悪そうなガキどもにミステリを貸そうとしたり、「『金田一』なんてパクりばっかりだよ! こんなの読むなよ!」的なウザい忠言をしたりと奮闘したのだが、その度に向けられた白い目の数々は本当に今でも忘れられない。「別にパクりでもいいじゃん、面白ければ」的な無神経な戯言を吐く馬鹿に今でも出会うが、その度にはらわたが煮えくり返って仕方がない。こういう体験、自分が愛してやまないものが圧倒的にデカい敵に蹂躙される体験は、レベルの差こそあれ誰しも体験しているだろう。


別に2ちゃんねるなんかいつ潰れてもいいんだが、自分が愛してやまないものを圧倒的にデカい的に蹂躙される悔しさ、怒り、そういった感情を否が応にも想起せざるを得ないからこそ、この問題はここまで拡大してるんじゃないだろうか。著作権や法律の話を持ち出せば、これは圧倒的にavexに分がある。『金田一』にしても、盗作で訴えても多分敗訴だろう。だが、自分が愛するものを守るためには、ガタガタに破綻している論理に頼らざるを得ない時だってあるのだ。相手にテロを仕掛けたり、刺し違えてでも止めなければいけないという場合だってあるのだ。それが何かを愛すると言う行為であり、私はそういう愛を持っている人を尊敬する。だからこそ、この問題に本気になって怒っている人に同調する。まあこれだけ話がデカくなってくると、もちろん面白半分のやつも混じってくるけども、それは仕方がない。


この騒動は最初から著作権の話なんかではなく、感情の話である。単純な話なのだ。「俺が大好きな○○を蹂躙するな!」という話なのだ。モナーに対しては何の思い入れもないが、同じような体験をしてきた人の怒りの話なのだ。2ちゃんねるという幻想の共同体に強い帰属意識を持った人々の抵抗運動ではない。そこから始まった話ではあるけれど、私のように帰属意識を全く持っていない人まで「avexふざけんな!」と言っているのは、もっと普遍的な話だからである。

だから「どんな手を用いてもavexを止めろ!」という話になってくるわけで、その「どんな手」というのがわた氏へのテロやガタガタの理論武装という形で発露している。だが、それを冷笑的に眺めてはいけないと思う。明日は私の愛するものが何者かに蹂躙されるかもしれないのだ。人々の怒りに鈍感になってはいけない。

tragedyさんが持たれているような倫理意識それ自体には非常に共感した上であえて問いたいのですけれども、今「のまネコ」がモナーのパクリだと主張されている2ちゃんねる住人の方々は果たして「俺が大好きなモナーを蹂躙するな!」と言えるほどに「モナー」を愛しているのでしょうか?それこそ、中学生時代のtragedyさんがミステリ小説を愛していたほどに。


2ちゃんねるで「モナー」のようなアスキーアートキャラクターに対して最も深い愛着を抱いているのは、他ならぬアスキーアートを作る「AA職人」と呼ばれる方々なのではないかと思うのですけれども、はてなダイアリーでAA職人の方が書かれている「アスキーアート・エッセイ」というブログでは、今回の問題に限らず、前回のタカラギコ事件などに対しても当の本人達にどれだけ悲壮感があったかというとかなり疑問とし、それらの問題に当事者的に関わることは(積極的には)行っていなかったしこれからも行うつもりがないとしています。僕もAA職人の方の意見は気になったのでまとめサイトを色々と探したのですが、上記ブログの執筆者の方に限らず、AA職人の方が今回の問題に対して強い反発を抱いているというような記事は見つけることができませんでした。


「活動自体の帯びている政治的色合いの濃さ」の項でも述べましたが、そもそも「モナー」というアスキーアートキャラクターの愛着に基づくavex社の剽窃への怒りが運動の根源にあるのならば、「ネット上のアスキーアート著作権は存在するのか」というような文化的側面からの議論が問題についてのそれの主流になっているはずだと思うのですけれども、実体としてそうではなく「avex社vs2ちゃんねる」のような政治的闘争の議論に問題についてのそれが回収され続けるのであれば、例え2ちゃんねる住人の人々がどんなに強烈にモナーへの愛着の強さを訴えようとも、論理的説得力に乏しいものにならざるを得ないと思いますし、また(反対運動自体が)そうした政治的色彩を帯びているということ自体、その背後に(人々を政治的意思の元に結集させる為の)何らかの組織やイデオロギーが存在しているということの傍証であって、本問題の場合、その「組織」や「イデオロギー」に何が該当するかと言うと……論を待たないでしょう。


前回のエントリーでも述べましたが、tragedyさんが指摘されるように、この問題が拡大した背景には、2ちゃんねるコミュニティへの帰属意識を持たないにもかかわらず、avex社の企業モラルの低さに憤慨して反対運動に同調している「善意の第三者」の力による運動の加速化があるのは確かでしょう。しかし、id:number29さんが指摘されるように*1、そうした善意に基づく運動の隆盛が一体何を齎すのか、と言う事が明確に見えてこない限りは、ヘタレな僕にはとても恐ろしくてこんな運動を応援する気になれないのも事実だったりします。というか、実際身内からテロ行為に及ぶものが出てきているというのに、それに対する反省も自戒も全く見られないというのはなあ………。

*1:他にもavex社は意図的に騒動を拡大しているという指摘もあります