更新再開準備中のお知らせ+長期間更新停止についての言い訳

実に約1ヶ月の間、サイト閲覧者の皆様に何の断りもなく更新を停止してしまい大変申し訳なく思っています。インターネットに繋ぐこと自体は11月に入る頃には既にできるようになっていたのですが、私的理由によりインターネットに離れていた期間(具体的には10月中旬から下旬に掛けての約2週間ほど)があったのに加え、9月頃より常々感じていたFlash感想執筆の難しさから今まで更新することができずにいました。


当サイトがFlash関連の話題を本格的に取り扱うようになった今年4月頃から7月頃までは、サイトのエンタテインメント性とでも言うべき更新頻度の高さを維持するためもあって、鑑賞したFlashの感想を短時間で仕上げてしまうことに何の躊躇いもありませんでした。が、その結果内容的に満足できない、「適当に書いているだろう」と指摘されても仕方が無いような文章を粗製濫造的に生み出すことにもなってしまい、特に2週間の更新停止をはさんだ8月からはサイト自体のヒット数が上昇傾向にあった事もあって、「Flash製作者ご本人や、Flashファンの方に読まれても恥ずかしくない感想」を意識して書こうとするようになり、自然と執筆の為に要する時間は長くなっていきました。
そのこと自体は僕の稚拙な文章が少しは洗練されていくきっかけにもなったので個人的には良いと思っていたのですが、結果的に定期的な更新を維持することが難しくなり、また先に述べたような現実の私生活上の問題もあって、今回の長期間更新停止へと至ってしまいました。


そこで、今回のような事があった後、無反省的に今までと同じような方針でサイトを続けてもまたいつか同じような問題が出て来てしまうような気がするので、今後はサイトの方向性を少し変えて、「更新頻度は低いが、一定レベルの文章を常に配信する」ようなサイトを目指して、未だに手をつけていない「flash★bomb」の作品感想の続きや、9月以後発表された代表的なFlash作品やイベントについての感想を少しづつ書いていこうと思います。
こんな不安定でルーズなサイトではありますが、当面サイトを閉鎖するつもりはないので、今後ともよろしくお願い致します。


……で、上記文章を読んで頂いた方にはお解りの通り、久しぶりにパソコンで文章を書いたためか、以前の感覚がまだ戻っていないというか明らかに文章が下手になっているので、本格的な更新再開までの間しばらくは、別館「theinvisiblegunの日記」を利用して、ネット上の雑多な話題やFlash関連の情報などについて取り上げつつ、文章執筆のリハビリを行おうと思います。
以前ほど充実した内容には出来ないと思いますが、管理人のリハビリにお付き合い頂ける方は上記サイトをブックマークして下さいませ。

週刊少年ジャンプ2005年度44号感想(ネタバレ注意!)

これでもかと言うくらい遅れてしまったので、今回は縮小版で。

DEATH NOTE

神様一世一代の大バクチ!!見ず知らずの相手にデスノートを送付!アンケートに書かれた内容が嘘でないと信じてるけど、カレはボクのことをどう思ってるんだろう……曇り空に舞い散る青春の不安。キミに託したボクの思いをここから千行ぐらい書き連ねようかと思ったけど既にかなり気持ち悪くなってきたので止めた。

太臓もて王サーガ

あいすさんは雪女なのに銭湯に入れるのですか。というか水分と同化することの出来るスタンドもとい魔界人を召喚すれば話は早いような気がするのだが、ギャグ漫画にそういう真面目なツッコミは禁止なのかな。
ところで女性の魔界人って今まで一人も召喚されてないような気がするんだが、やはり出る場所がアレではビジュアル的に難しいんだろうか。

Mr.FULLSWING

今回までの粗筋

甲子園地区予選で敗退してしまった主人公の高校だが突如開催が決定した県対抗試合に甲子園終了後出場できることになり意欲を新たにするのであったが今週甲子園の本選が開かれ地区予選で優勝した主人公たちの最大のライバル高校がアメリカからの留学生(新キャラ)に数コマで敗退し実はその留学生は主人公の生き別れの兄弟だった。


以上が僕の妄想ではない最近のこの漫画の粗筋ですが、この大脳新皮質に直接ドーピングコンソメスープを注入したような展開はいよいよ本作の終わりが近づいていることを暗示しているのでしょうかだったら県対抗試合なんて新設定を持ち出した理由はどこにという疑問を差し挟む余地も無く掲載順は低迷しているので来週最終回でも多分誰も驚かないと思います。
僕なりの結論を提示するならば、私服の弥子さんは可愛いなと思いました。

「JUMP the REVOLUTION!」掲載「エンバーミング」(和月伸宏)感想

flash★bombの作品感想の掲載途中ですが、先日発売された「週刊少年ジャンプ」の新増刊「JUMP the REVOLUTION!」に掲載された「武装錬金」の和月先生の新作読み切りが意外なことに非常に面白かったのでその感想を掲載します。
増刊は発売からやや日が経っていますが、手に入れようと思えばまだ入手できると思います。


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僕の勝手な私見だけど、少年漫画の作家には二通りのタイプがいると思う。一つは主人公ないし主人公的なポジションにあるキャラクターに強く感情移入し、その主人公を中心としたストーリーを主観的に描いていくタイプの作家。もう一つは主人公含む物語の登場キャラクター達に深く感情移入することはせず、それぞれのキャラクターのストーリーを並列的・客観的に描いていくタイプの作家だ。


和月先生は割と思弁的な内容だった「るろうに剣心」の印象から、一見前者に属するタイプの作家に思えるが、実は典型的な後者の型を持った人物のように思う。
武装錬金」のライナーノートなどを読んだ人なら分かると思うけど、和月氏はあるキャラクターを創造する際、そのキャラクターの担うストーリー上の役割を最初に考え、それをはじめから最後まで変更することが(基本的に)なく、またストーリーの節目節目で特定キャラクターに肩入れして物語自体を捻じ曲げるようなこともしない。氏の創造するキャラクター達はそれぞれ「ストーリー上で何らかの役割を担っている」と言う意味で等価であって、それはカズキのような主人公であろうと太細のような捨てキャラであろうと何ら変り無い。これはあるキャラクターに感情移入して物語を作っていくタイプの作家には無いドライな感覚と言えると思う。終盤の「ブラボーの死」という一大結節点さえ、「自分の作家的ポリシーとテーマ性の保持の為に回避した」と言って憚らない*1のにもそうした感性が象徴的に出ている(主観的な作家なら「思い入れの深さ故に殺せなかった」などの弁明の仕方をするはず)。


で、何故件の「るろうに剣心」では多分にそれが主観的な内容を持ったものに見えていたかと言うと、それは例の「不殺」の精神に代表される主人公・剣心の思想が、そのまま「週刊少年ジャンプ」という雑誌の当時の商業的要請、つまり「雑誌の特色からしてバトルものを減らす事は出来ないが、教育的配慮から人を殺すヒーローはダメ」といういささか矛盾したイデオロギーを全面的にバックアップするものだったからだと思う。並列・客観主義的で「絶対的な正義はない」と言う主張を「武装錬金」でも幾度となく行っている*2和月氏だが、「るろうに剣心」では結局のところ剣心の思想が一番正しいと言うことを結論として持ってきてしまっていて、それが物語を主観性の強いものにし、さらには商業的な大ヒットを約束した。しかし、連載が終了して5年近く経つ今では知る由も無いが、この結果には和月氏本人もどこか釈然としないものを感じていたのではないか。


さて、それで今回の「エンバーミング」である。本作は主人公からし和月漫画としては極めて異例の、殺人や殺戮すら厭わないダークヒーローであり、おまけに一見善良そうな某キャラ含む全てのキャラクターが心に何らかの邪悪を抱えているときている。今までの善意志向の和月作品を読み慣れた人からすれば面食らう内容であるが、上記したような和月氏の作家的素養を踏まえれば、この内容はそれほど意外なものではないと感じられないだろうか。
つまり、それぞれのキャラクターについて主観的に正しく(この際「客観的に」正しいかどうかは問われない)筋の通った理念を与え、作者は各々の登場人物に対して客観的視点を保ちながらその全てを肯定も否定もせず傍観し、ただ(キャラクターそれぞれの)「理念」が衝突する様を残虐かつドラマティックに描いている。これは「週刊少年ジャンプ」と言う特異な雑誌のイデオロギーからも自分の個人的思想からも離れた上で、なおかつ(上述したような)自身の作家的ポリシーは保持しつつ、神の視点からあくまでも各キャラクターの性格に応じて(それぞれの持っている「悪辣さ」さえ「主観的な正しさ」として肯定して)全てのストーリーを動かしているということであって、それが本作のピカレスク・ロマンとしての(うそいつわりの無い)瑞々しい魅力に直結しているのである。これを作家生活ウン十年にして、和月氏が新たに手に入れた作家的技法の発芽と言ったら、いくらなんでも誉め過ぎだろうか?


勿論こんな過激な作品が少年ジャンプで連載できるわけはなく、もし連載化するとしたらウルトラジャンプとかその辺の雑誌にせざるを得ないだろうが(これでジョン=ドゥを普通の善良なジャンプ的ヒーローにしたら台無しだしな)、これだけ自分の作品を上手にコントロール出来る作家なら、どんな場所に行ってもそれなりの成果を残せるだろうと思えるだけのものが本作にはあったと思う。とりあえず今後の課題は(ネタバレ)→相変わらずヘタレ度の高すぎる敵役造形の改善ですね(笑)

*1:第8巻のライナーノートを参照

*2:第3巻「もしキミが自分を偽善と疑うならば 」などを参照

Firefoxなどのブラウザで当サイトを観覧した場合の表示バグについて

FirefoxNetscapeなどのGeckoエンジンを使用したブラウザで当サイトを観覧した場合、右柱の「IAA」のRSS表示の部分が右側にはみ出して表示され、レイアウトが崩れてしまう場合があるようです。これはGeckoエンジンに規定のバグである「半角の文字列を折り返せない」という仕様によるもので、RSSの本文にURLなどが表示されていると、上記したような症状が出てしまうようです。


下記のサイトにそうしたバグを解消できる「url_breaker」というスクリプトとその導入方法が掲載されていますので、申し訳ありませんがそうした表示の乱れが気になる方は下記サイトの指示にしたがってスクリプトを導入して下さいますようお願いいたします。
サイトのインデックスページにスクリプトを仕込む方法もあるらしいのですが、はてなダイアリー標準でスクリプトが使えないという酢薔薇恣意仕様なので、無料ユーザーの僕は諦めて跪くしかないようです。

「flash★bomb'05 THE THIRD IMPACT」オンライン発表作品感想・その1(「1歳6ヶ月の注意事項」「EMDCR」「ムサベツカウンターストップ」「aspEct」「VB」)(ネタバレ注意!)

去る9月23日開催されたイベント「flash★bomb'05 THE THIRD IMPACT」に出品された作品のうち、オンラインで発表済みのものに限定した感想です。
発表されている作品のリストは、(・∀・)イイ・アクセス: 2005年09月23日 アーカイブMUZO フラッシュエンターテイメント | FLASH50 の閃客万来! | flash★bomb'05 終演を参照してください。
今回は、イベントのプログラム【第1部】で発表された作品の感想を掲載します。

1歳6ヶ月の注意事項

商業化もされたFlashアニメーションシリーズとして有名な「3歳シリーズ」のG-STYLE氏によるイベントのオープニング用の作品です。


3歳シリーズの主人公君の弟である1歳6ヶ月君による注意事項の説明が、意味不明を超えた破壊的なギャグとして成立しているのは、単なる作品のナンセンシズムによる理由だけではなく、「flash★bomb」というイベントに参加するような「Flashファン」であれば当然「3歳シリーズ」を見知っているだろう、という受け手側の前提があるからであり、(誰もが知っている)「3歳シリーズ」とほぼ同一の手法での演出を、技術的にトップレベルのFlashアニメーションが集うイベントでやってしまうという傍若無人さが、作品の妙味を内容以上に引き立てているからだと見て相違ないと思います。


逆に言えばこれは「3歳シリーズ」という(Flashファンの間では)超有名な作品が受け手側に「知られている」という前提があるからこそ成立した手法であって、そうした情報共有によるある意味内輪的な空間を超えた場所においては通用しない類のそれなのでしょう。
今後のflash★bombは「スラッシュアップ」と名前を変えて再出発されるとの事ですが、2ちゃんねるFlash・動画板発のイベントとしては最後となったこの第三回で、イベントの開始直前に急遽提出されたという本作を堂々とオープニングに掲げた意図を、主催者であるMUZO側の視点から考えてみるのも一興かも知れません。

EMDCR(movファイル直接リンク/32MB)

Elite Motion Designs」の153回帰氏による、Adobe After Effectsを使用したMotion Graphics(MG)作品です(容量が大きいので、観覧の際にはダウンロードツールの使用を推奨します)。


海外の映像プロダクションの作成するShow Reelに直接的な影響を受けたのだろうウェスタンなビジュアルワークのインパクトもさることながら、ブラックミュージックのリズムを取り入れたBGMに沿って展開される不可思議なアニメーションは、Flash製MG作品にありがちな生硬さとは対極にある、独特のしなやかさを持った浮遊感すら獲得しており、受け手に映像の世界へ入り込むことによる快感を存分に味わわせてくれます。外国文化の風味をふんだんに盛り込みつつ、安易な西洋かぶれ作品とは一線を画した色使いやモチーフから滲み出る土着的なエキゾチズムの表現は、「本場」の西洋人には作れない類のそれだとさえ言えてしまうかも知れません。


ただ、本作をして「西洋に輸出しても通用する作品である」という評価をしている方もいるようなのですが、素人の私見にすぎない事を前提に書かせていただければ、果たして作品中に「西洋的なるもの」―アメリカの黒人やマイケル・ジャクソン、あるいは枠の中に閉じ込められたキリスト―のイコンを記号的に挿入している本作のようなタイプの映像作品が西洋人に抵抗なく受け入れられるのか、という疑問もあります。むしろ、(日本も含む)アジアや非西洋の国々でこそこうしたタイプの作品は受け入れられやすいのでは、そしてそれはクォリティの問題ではなく、単なる文化の違いによる感覚的な差違によるものなのではないか、と僕には思えました。


※本作の感想ではありませんが、本作を見て「もっとこういう作品が見たい!」と思われた方は、maxさんのブログ「3D映像空間主義」や、GilCrowsさんのブログの「カテゴリー:motion graphics」、gumiさんのブログ「gradation」等をご覧ください。

ムサベツカウンターストップ

ダメージ量のカウンターストップ(9999)を題材にしたアクションバトルゲーム風アニメーションです。


こうしたアクションゲーム風、あるいは格闘ゲーム風のFlashアニメーションの歴史は古く、2001年に発表された後に本当に同人ゲームになってしまった格ゲー風ムービー「GLOVE ON FIGHT」(春風亭工房)、中国(?)の棒人間アクションシリーズ「小小系列」、2ちゃんねるFlash作者のU=GI氏による「戦記シリーズ」などなど、様々な作者による多種多様なアプローチの作品がウェブ上のアマチュアゲーム文化と半ば融合する形で発信されてきたのですが、本作「ムサベツカウンターストップ」も、作者である「マタタビアソビ」のエジエレキ氏が過去にAAキャラクター使用の格闘ゲームFlashアームズパーティー」や「AA OUT BREAK」といった諸作品を発表してきた事を鑑みても、そういった作品の流れを汲むものと見て良いでしょう。


しかし本作におけるポップなキャラクターデザインや三次元的な演出を駆使したアクションの表現は、過去作「アームズパーティー」や2Dあるいは3Dのゲームのそれよりも純粋にアニメーションに近く、またバトルゲーム風のFlashアニメにありがちな(「AA OUT BREAK」においては採用されていた)パワーメーターによるヒットポイントやダメージ量の表現が、「9999」というカウンターストップ値に統一化されることで排除されているところから見ても、ゲームのデモムービーのような作品として見るよりは、単純にゲームのテイストを(装飾的に)用いただけのアニメ作品として見た方が適切かもしれません。
BGMとして展開に起伏のない(ゲーム風の)テクノを選んでいるためか、作品全部が山場のような感じでこれといったストーリーもないのですが、平明で丁寧な描画によるアクションの美しさや、一見ゴチャゴチャしながらもキャラクターのアクションがすっきりと認知できるカメラワークによって、ただ眺めているだけでも十分楽しめるタイプの作品になっており、展開の起伏の無さはそれほど欠点になっているとは思えませんでした。コミカルでキャッチーなモンスターデザインによって、バトルシーンの残酷性が最低限に抑えられているのも少年向け作品としては高ポイントでしょう。


なお、2ちゃんねるアスキーアートキャラクターによるゲーム風のFlashムービーについては、「猫眠」のマタタビさんがタイミングよくまとめてくださっているので、ご興味のある方はそちらも参考に。

aspEct

Carpe diem」の伊織氏を中心としたチームによる現代美術的なアートワーク作品です。


冒頭、篝火が灯されているかのようなちりちりとした効果音とぼやけた色彩、やがてそれが具体的な形を得る段に至って、唐突に本編が開始されます。ばらばらに千切られたモノクロの写真が寄り集まって女性の顔の全体像が見えてきたかと思うと、間も無くその上から冒頭の色彩に似た多種多様な色の描線が塗り重ねられていき、モノクロ写真を映像的なオブジェと化していきます。


元々被写体である女性(男性のパターンも幾つかあったようですが)を写しとる事で作りだされた「モノクロ写真」は、それをアートワークと化するという意図を持つ作者にばらばらに千切られることによって、既に「被写体を写し取ったもの」という本来の意味すら超えた意味を付加されていますが、それでも(それが人間の顔なり姿なりを(それぞれを組み合わせることによって)形成している以上は)そこに映し出されているのは「(生きた)人間」の姿です。ところが、その上に色彩による装飾が重ねられることによって、千切られたモノクロ写真はその本来の意味を完全に逸脱した、アートワークの為のオブジェと成りはててしまいます。これは元のモノクロ写真が持っていた「被写体を写し取ったもの」という記号的意味に、「(作者の意図によって)上から塗りたくられる色彩」という記号的意味を重ね合わせることによって、どちらの記号的意味とも異なる記号的意味をそれそのものに与えているという事であり、その行為にはある「記号」がある「記号」を駆逐し塗り変える時に特有の、美麗で装飾的な外見の裏に隠された計り知れない暴力性が感じられます。


それでも、その暴力行為が行われるさまを、受け手である観客が(その暴力性に)無自覚なまま「綺麗だねえ」とでもつぶやきつつ脳天記に眺めていられれば、まだ幸福だったのかも知れませんが、作者はそういった(受け手の快楽原則に従った)「作品への没入」さえ許さず、途中で何度か意図的に作品の「動作」を停止させる(単に画面が動いていないというだけではなく、音楽も含む全ての作品中活動を停止させるという意味)ことによって、否応なしに「それと向き合っている我々」の姿を(受け手である我々自身に)自覚させることになり、作品の暴力性をよりビビッドなものに仕立て上げています。停止させる「女性の顔」とすら既に呼べないモチーフの「目」(と傍目から認知されるだろう部分)が、じっと睨むようにこちらを見つめているのは、いずれの場合も偶然ではないのでしょう。


作品のアバンギャルドさと比して、妙に大人しくベタな終わり方(これといった盛り上がりもなくクレジットが表示されるだけ)が最後に用意されているのは、せめてこの恐ろしい作中世界から鑑賞後の我々を解放してあげよう、という作者氏の優しさの現れなのかもしれません。

VB

ウイルス駆除をテーマとしたB級SFアクション風アニメーションです。


マチュア制作によるFlashアニメーションでは、「こしあん堂」のたけはらみのる氏の諸作品などに典型的なように、キャラクターの等身を低くすることによって手足などの関節部分をそれぞれ別々に動作させる「多関節アニメーション」(Flashアニメーションの基本的な技法)を見た目に自然なものに仕上げやすくするということが、アスキーアートキャラクターの作中使用などと並行して日常的に行われているのですが、本作「VB」はそうした多関節の技法(コマアニメではない)を採用しつつ8等身のキャラクターの描写にチャレンジした野心的な一作です。導入のシーンから中盤のアクション、「スパイダーマン」のグリーンゴブリンの駆るグライダーのような乗り物に乗ってのライド、巨大ウイルスとの最終決戦に至るまで、丁寧なデッサン力に支えられた自然な描写は、多関節アニメとしては勿論、通常のアニメーション作品として見ても出色の出来で、画面の力だけで物語をぐいぐい引っ張っていきます。


一行目で本作の世界観を「B級SFアクション風」と書きましたが、本作の演出技法は「マトリックス」や「リベリオン」のような、アクションの切れ味やハッタリを重視した昨今流行の近未来SFアクション映画よりもむしろ、ビジュアル的な美しさ&見栄えの良さを重視した「チャーリーズ・エンジェル」的なもので、それはアクションムービーにも関わらず敵が同一デザイン(しかも物凄く地味)の「ウイルス」しか存在しないことや、弾丸を発射して敵を攻撃する際、銃を撃つモーションを描写するよりも主人公のをアップで写し取るシーンが多いことからも伺えます。要はアイドル映画の技法で描かれたアクション・ムービーであるわけで、そうしたものが苦手な人、あるいは本格的なアクションの描写にこだわりを持っている人には、本作を否定的に捉える向きもあるかと思いますが、それはどちらの技法が優れているという問題ではなく、単なる作品性の違いに還元される類の差違に過ぎないのではないかとも感じます。


…ただ、個人的には最後のあのオチは作品世界を悪戯に矮小化してしまっただけで、あまり効果的なやり方ではないのではないかとも思いました。かつての「Nightmare City」のような、(見た後では)作品の意味そのものが全く違って見える類の「エピローグ」であれば歓迎したと思うのですけど。

「PUNKY BAD HIP」

古い世代の奴らは 金で何でも買いあさった
だけど 俺達は自然の掟の中で生きる獣の世代さ


焚き火を取り囲む俺達15人
世界で一番新しい国


フライパン片手に未来を語り合う
味気ないスープ 果てしない大地
味気ない道路 限りない旅