人権擁護法案ってどうなんでしょうね

どうでもいいって言ったら怒られますよねそうですよね。

僕の立場としてはこの方と一緒で「ウィークに反対」なのだけど(笑)、2ちゃん界隈での当法案のバッシングされっぷりには微妙な違和感を感じているのも事実なので、その心情の解析がてら少し書こうと思う。


まず、本法案が非難されている最大の原因として、人権委員会が個別の差別表現に対してのアクションを決定しうる具体的なガイドラインが全くもってはっきりしておらず、加えて人権委員会そのものに警察並に強力な権限が与えられている事によって、少数の委員の独断によって強力な言論弾圧的法的措置が取られるのではないかという危惧があるように思う。
確かに国民の立場からしてみれば自分の生活を規定する「法」そのものにいくらでも解釈可能な曖昧さが残されているというのは非常に不安であろうし、それら欠陥を恐らくは十分に承知しながら民衆を納得させうるアナウンスをしない政府の態度には落ち度があると思う。少なくとも、ある問題において常にその最悪のパターンを想定することは悪い事ではない。

だが、ちょっと考えてもみてほしい。そのような曖昧模糊とした、言ってみれば「ユルい」法案で国民の生活を「厳しく」締め付けると言う事が果たして実際的に可能なのだろうか?
成る程、特定の差別的行為(と見なされたもの)を裁定するガイドラインが曖昧だとすれば、裁定する側=人権委員会が必要以上に事件を過大に解釈して厳罰を下すことも理論的には可能だろう。だがそれは国民の側とて同じことだ。解釈の幅が広く設定されている以上、自分に与えられた人権委員会側の勧告等が「不当」だと思えば、いくらでも「法に基づかない不当な処罰を行った」として人権委員会側を糾弾する事が可能になるのである。ただでさえ世論に歓迎されていない法案なのだから、ヘタに強制的な措置を行えば人権派の市民団体やら弁護士団から袋叩きにされるに決まっている上、たとえバッシングを無視して強行措置に踏み切ったとて、余計に問題が拡大化し政府批判まで湧き上がる蜂の巣を突っついたような大騒ぎが起こることだろう。法案のウィークポイントに自覚的である限り、人権委員会が批判派の心配するような強硬手段に出るとはイマイチ考えにくいのだ。それがまず一点。


次に、糾弾の対象となっている人権委員会そのものについて。
原文を読むと、「法務大臣の所轄に属する委員長及び委員四人をもって組織」される団体だという事が分かる。え、ちょっと待ってくださいたった5人ですか?しかもうち3人は非常勤だとか書いている。あんまり多すぎるのも問題だけど、強大な権利の持ち主云々以前にたった5人ではネット上で危惧されているような草の根的な言論弾圧(BLOGが危ないとか2ちゃんが危ないとか)なんてそもそも物理的に実行不可能というか、最初から委員会側に実行する気がないように思えるんだけど。憶測に過ぎない見解であることを承知で言うなら、実態は単なるお役所的なハリボテ組織で、国民一人一人の生活を脅かすような力も能力も全く持っていないように見えてしまうよ。
もっとも、ネット上で危険視されているのは彼ら自身よりむしろ彼らが率いる全国に派遣される「人権擁護委員」の方らしく、法案反対Flashでは戦前の特高警察に準えられている。確かにトップ自体に実行力がなくとも、全国に大量に派遣される実行委員がいれば、草の根的な弾圧も不可能ではないだろうが、ちょっと長いが下の引用部分を見て欲しい。

第 二十四条 人権擁護委員の定数は、全国を通じて二万人を超えないものとする。
2  各市町村ごとの人権擁護委員の定数は、その地域の人口、経済、文化その他の事情を考慮して、人権委員会が定める。
3  都道府県人権擁護委員連合会は、前項の人権擁護委員の定数につき、人権委員会に意見を述べることができる。
  (任期等)
第 二十五条 人権擁護委員の任期は、三年とする。
2  人権擁護委員は、再任されることができる。
3  人権擁護委員の任期が満了したときは、当該人権擁護委員は、後任者が委嘱されるまで引き続きその職務を行うものとする。
4  人権擁護委員は、非常勤とする。
  (費用)
第 二十六条 人権擁護委員には、給与を支給しないものとする。
2  人権擁護委員は,政令で定めるところにより、予算の範囲内で、職務を行うために要する費用の弁償を受けることができる。
  (職務執行区域)
第 二十七条 人権擁護委員は、その者の委嘱の時における住所地の属する市町村の区域内において、職務を行うものとする。ただし、特に必要がある場合においては、その区域外においても、職務を行うことができる。
  (職務)
第 二十八条 人権擁護委員の職務は、次のとおりとする。
  一  人権尊重の理念を普及させ、及びそれに関する理解を深めるための啓発活動を行うこと。
  二  民間における人権擁護運動の推進に努めること。
  三  人権に関する相談に応ずること。
  四  人権侵害に関する情報を収集し、人権委員会に報告すること。
  五  第三十九条及び第四十一条の定めるところにより、人権侵害に関する調査及び人権侵害による被害の救済又は予防を図るための活動を行うこと。
  六  その他人権の擁護に努めること。
  (服務)
第 二十九条 人権擁護委員は、その職責を自覚し、常に人格識見の向上とその職務を行う上に必要な法律上の知識及び技術の修得に努め、積極的態度をもってその職務を遂行しなければならない。
  (監督)
第 三十条 人権擁護委員は、その職務に関して、人権委員会の指揮監督を受けるものとする。

反対派のホームページ等では「全国で二万人!」とセンセーショナルに言われてはいるが、実際は「二万人が最大限度」でそれ以上は雇用不能と言う事である。仮に最大限度まで雇い入れたとして1億2000万の日本国民全てを監視するには一人当たり担当する人数は単純計算で6000人に及び、とてもじゃないがまともな監視など出来はしないだろう(ちなみに現在の日本の警察官の総数は2004年度で約24万人で一人当たりの負担人口は527人(参考)。これでも先進国では最も多い)。
また、それぞれの任期がたった三年しかないことから(連続して再任されないことには)特高警察のような強固な組織性は相当成立しにくい事が予測され(しかもやっぱり”非常勤”だ(笑))、直接的な給与が与えられないことで本職を専門とする有能なスパイは当然生まれることはなく、更に活動内容はその辺でプラカード掲げて行進してる市民団体が如き「啓蒙活動」が中心で、たった5人しかいない人権委員会の指揮に忠実に従わなければならない。国籍条項の規定がない事から日本の国家体制に不満を持つ在日朝鮮人や外国人が本職につく事を懸念する声も多いが、生活に困っている外国人がこんな暇な町内会長のような仕事に就きたがるとは到底思えんなあ。
それでも自分達の周囲にこういった役職の人物が密かに潜伏しているというのは確かに不気味な状況だし、ある種ヒステリックな恐怖に基づいた批判が沸きあがるのも分かるが、フィリップ・K・ディックの小説じゃあるまいし、現代日本特高警察やそれに準ずる組織が成立しうるという発想がそもそも突拍子も無さ過ぎるのだ。上記要素から想定するにその実態はせいぜい暇なチクリ屋のオバサンの全国的な集合体と言ったところだろう。これが二点。


最後に、どうもこの法案自体が壮大なハッタリというか、実際的な法案としての有効性をまるで考えずに作られたものではないかと思えることについて。上記した二つの大きな法制上の「穴」もそうだが、本法案は確かな現実認識に基づいて作られたものと言うよりも、空想的な、体面の良い理想主義に基づいて作られたもののように見えるのである。
コメントスクラム嫌いの弁護士さんも指摘しているが、本法案の制定する罰則条項は(強権的ではあるけれども)人権侵害防止のためにはあまりに脆弱すぎ、その効能を十全に発揮できるとは考え難い。同氏は本法案に関する日本政府の見解への誤解を愛・蔵太さんに突っ込まれていたが、両氏のコメンタリーを比較すると奇妙な事実が明らかになる。すなわち、日本政府はわが国が明白な人種差別行為が行われている状況にあるとは認識していないにもかかわらず、一度廃案になったはずの本法案をわざわざ引っ張り出し、国民の反対を無視して成立させようとしているという事実である。ちょっと陰謀論っぽくなってしまってアレなのだが、これはつまり本法案を成立する真の目的が人権擁護以外の所にある証左ではないか。
先の某弁護士氏のブログや極東ブログの指摘にもあるが、現在の日本は(それに対する応答がどうであれ)外国や国連から「人権が守られていない国」として人権擁護を推進すべく圧力をかけられており、悲願の常任理事国入りを果たすためには仮にその必要が無かったとしても外国向けのアピールとして人権擁護関連の法案を早急に成立させる必要があったのではないか。また、反対派のサイトにもあるように、同和等の差別利権を温存する役割もあるのだろう。
それが国民の生活を規定する性質のものである以上、法律は常に厳密な論理性に基づいて作られなければならないが、単に口うるさいガイジンを黙らせるためのハッタリならば、現実的な有用性など関係ない、むしろ現実から離れて理想主義的であればあるほど単純に「ウケ」がよくなるという理屈も成立するかもしれない(しないか?)。


無茶苦茶長くなってしまったが、僕が本法案に対し「やんわり反対」の立場をとるのはそういった理由である。本法案はあまりに現実離れした条項が多すぎ批判派の心配するような言論弾圧が起こるとは思えない、しかし仮にこの法案が単に外国向けのハッタリや既得権益保全の為に作られたハリボテだとすれば、そんな下らない理由のために国民に(実体を伴わないものにせよ)無用な恐怖を与えるのは政策として明らかに間違っている。ハッタリならハッタリでもう少しマシなものを用意しろと言いたい。政府にはプロの法律家がいないのだろうか?


ただ、「(法案の恐怖は)実体を伴わないもの」だと言いはしたが、今のネット上の法案反対スパイラルが全く無意味だとは僕は思わない。上に述べたように多分に解釈できる曖昧さを残した本法案の暴走を防ぐためにはまず世論から嫌われている事が不可欠だからだ。人々を締め付ける法はいつの時代でも嫌われてきたし、それはある意味健康な社会の構造だと思う。
僕?僕は性格的にああいう輪の中に入るのは苦手なのでとりあえず遠目に傍観を決め込む事にしますよ。それがチキンの生きる道です。


参考:http://homepage2.nifty.com/jinkenken/kiyaku.htm(1998年11月19日発表/赤字部分の解説が解り易いです)
参考:CERD(国連人種差別撤廃委員会)による日本政府報告書への最終見解(2001年3月発表)
参考:人種差別撤廃委員会の日本政府報告審査に関する総括所見に対する日本政府の意見の提出(2001年7月発表/上記見解に対する反論)


3月13日:人権擁護法案について少し追記
3月15日:人権擁護法案について少し追記・その2
3月22日:人権擁護法案について少し追記・その3
3月24日:人権擁護法案について少し追記・(たぶん)最終章

以下余談。
この法案に対して強硬な反対を表明したサイトの中に朝目新聞さんとII-Access(イイ・アクセス) – あなたの好奇心を誘う魅惑のコンテンツをご紹介さんの名前があるのを見てちょっと複雑な気分になった。彼らはそのサイトの性質上、表現の自由が侵害されることを恐れて本法案に反対を表明したのだろうが、ネット上でのパロディ漫画だのFlashだのは―――こんなチンケな法案の有無に関係なく―――最初から圧倒的に自由だったからだ。

僕が大好きだったFlashの作者さんにドラワサビさんという伝説的な馬鹿Flashの名人がいる。彼は自分のFlashが有名になる過程で小●館の編集者(これは後に偽者と判明した)やJAS○ACの本社から執拗な攻撃を受けながらも、幾度となくホームページを移転しつつゲリラ的に新作を発表していった。やがてFlash界にもそれなりの著作権意識の芽生えが見え始めた事や技術の進歩によりネタ系の馬鹿Flashがあまり歓迎されなくなっていった事もあって、彼は新作を作らなくなってしまったが、彼が生み出した数多くの傑作は今なおWinnyや補完サイトを通してFlash好きの小中学生に親しまれている。

別に勝手なノスタルジアから彼や彼の行いを正当化しようと言う意図はない。客観的に見ればどう見ても立派な著作権法違反の犯罪行為であり、いかにFlashとしての出来が良くても彼の作品がネット上の無法地帯、アンダーグラウンドの域を出る事はないだろう。だが、本当に優れた芸術は常に混沌としたアンダーグラウンドから生まれるのが世の常ではないか?世の中が欺瞞的にそのシステマティックな強固さを増せば増すほど、芸術はそれを破壊せんとする意思とともに闇の中から這い出てくるものなのではないか?そう考えれば、外界からの不当な弾圧はむしろ望むところとも言えるだろう。芸術はシステムなどに敗北しないし、そんなものに迎合する態度は作家の本来取るべきそれではない。いかに強固なシステムも、内から湧き上がる創造への意思を止める事など出来ない。