「自主アニメの市場価値」(FLA魂)

・・・・・というわけで、僕のした質問に対して、青池良輔さま直々のご返答を頂きました。・・・・・正直、驚愕ッ!(すいません・・・)

 今、面白い作品を作るクリエイターの人は、次第に増えていっています。でもその人たちがすぐにでも「立身出世」できる状況ではないと思います。例えて言えば、多くのクリエイターがいたとしても、それは戦国時代のような「下克上の時代」なのではなく、江戸時代のように大きな大名がそれぞれの土地を収めている状況下で、「あの村にはこんな剣豪がいる」というような状況だと思います。この場合、「大名」は大手アニメーションプロダクションであったり、広告代理店であったり、テレビ局であったりということです。僕が今身を置いている「Flash村」では、なんとか食えていますが、他の村に顔を出せば「通りすがりの人」です


 マンガに関しても同じような状況だったと思いますが、より多くの作家、作品が出る事によって既成の出版業界とは別の次元でマーケットを作る事が出来ました。残念な事に、アニメーションをつくるのにはマンガ以上に時間がかかります。「同人誌」ほど「個人制作アニメーション」は絶対量的に出てこないでしょう。数が少ないという事は、なかなかマーケットを刺激しません。(強調引用者)

・・・お礼も兼ねてこちらも気の利いた返事を書かねば、と思いつつ、リアルタイムで現場の第一線に身をおいている方の口からこれほどの事を言われてしまうと、最早何も付け加える事が無かったりするのですが・・・・。
例に出されている「大手アニメーションプロダクション」や「広告代理店」や「テレビ局」に対して、現状の個人制作アニメーションが(「下克上」を可能にするような)経済的なパイプを全く持てていない、という事実。音楽におけるインディーズ⇔メジャーの関係などと比して、いかにも市場を形成しにくい、「村社会」的な状況にあるのは間違いないと思います。またその「村」が既存のカテゴライズを打ち破るほどの人数を持たない、規模の小さな物に過ぎないという現状・・・・・先日のマクロメディア買収事件もまた、漫画の同人誌ほどに個人制作アニメが「ポピュラー」なものになっていく可能性の低さを示唆するものであるような気がしてなりません*1


こうした状況について製作者でも業界人でもない素人である僕如きが想像で何を言ったところで、「現場」にいる青池さまの見解に匹敵する説得力を持論に付する事は絶対に不可能だと思いますので、僕はあえて青池さまの提示なさっている「個人制作アニメと漫画同人誌」という対比図式を崩して、違う比較モデルを提出することで別の方面から議論を進めてみたいと思います。
比較対象とするのは、現在インターネット上で隆盛を誇っており、また青池さまや僕も使っているツールである「ブログ」(ウェブログ)です。


個人の日記やオピニオンを発表するツールとしてここ数年で爆発的に普及したブログは、ブームが飽和状態に陥ると同時に下火になり始め、最近ではブログブームはもう終わったとする言説が俄かに注目を集めるほどになっています。
もちろん、一時のブームが過ぎ去ったところで継続していくブログはあるでしょうし、一旦作られたパラダイムの形態がそうそう簡単に解体されることもないだろうとは思いますが、仮に現在のブログが一つの文化としてリアル世界にまで影響を及ぼすような強大なパワーを持つ可能性が低いと見なされているとすれば、その原因はリンク先のエントリーに述べられていることの他に、ブログを商業ベースに乗せることが事実上不可能だった事が大きいのではないかと僕は思います。


ブログを通じて有名になった人、ライター業や執筆業を始めた人は(全体の比率から言えばごくごく少数ながら)存在しますが、それはあくまでも「ブログで注目を集めた新進気鋭のライター」としてのスタートであり、「ブロガー」のままで金を稼ぐ「プロ」になれたわけではありません。それはブログがインターネット上でしか機能しないツールであり、上記リンク先にあるようにブロガーがブロガーのままで「プロ」になる=金を稼げるようになるような機構はついに現れず、そのような試みに成功した人も誰一人としていなかったからです。ブログがきっかけで紙媒体のライターとしてデビューした誰かが、ネット上では「ブロガー」であることとリアルでは「ライター」であること、この二つの事実は矛盾はしませんが断絶していると思います。そこにあるのは「デジタル媒体のインターネット世界=アンリアル」と「紙媒体の現実世界=リアル」の溝であり、それを超える術をブログはついに持ち得なかったと言う事でもあります。


では、個人制作アニメーションはどうでしょうか。青池さまは勿論の事、新海誠氏ポエ山氏森野あるじ氏などなど、まだ少数ではありますが個人制作アニメ全体の「絶対人数」の少なさを考慮すればそれなりの数の人々が現在も現役バリバリで活躍していますし、しかも彼らのWEB上での活動と「プロ」としての活動には、ブログと紙媒体を対照した場合のそれのような「断絶」がなく、時間的な限度や、プロデューサーやスタッフからの注文に答えるなど、「プロとして必要な制約」は当然あれど、わざわざ普段趣味で作っているアニメーション作品と大きく手法を変えて「プロとしての仕事」に望んでいる人は少数に見えます。
これはそんな事をしたらその人の「作家性」が殺されてしまう危険があるので当然だと思うのですが、ブログでは紙媒体に移行する際、どうしても文体や媒体の違いによる「ブログの論客が印刷メディアに登場するときの居心地の悪さ」が生まれてきてしまい、ブログに書いている時と同じような文体では失敗してしまう事がままあります。対して個人制作アニメーションは、新海誠氏の「ほしのこえ」のように、それがやがて映画館で上映されたりDVDとして発売されたりと多メディアに展開しても、映像表現としてのフォーマットは変わっていない以上、パソコンを通じて鑑賞するのと感覚的に大差がないという強みがあります。
上記したような「断絶」があるために「アンリアル」を何とかして「リアル」に移行しなければ金を稼ぐ事が出来ないのがブログであれば、「アンリアル」が「アンリアル」のままで金を稼げるのが個人制作アニメとでも言いましょうか。それは、紙媒体が紙媒体のままで金を稼げる漫画の同人誌に通じる「強み」でもあると思います。


更に言うならば、上記したエントリーにあるような、従来の文化的パラダイムにおける「既得権益」を、個人制作アニメはブログと比して容易に得られる確率が高いのではないかと思います。それは発信者たる製作者個人の持つ「ブランド力」です。
上記したように、ブロガーがライター等の職業についてデビューする場合、どんなにブログ界隈で評判を得ている人物でも、ライター業界では大抵が「無名の駆け出し」として0から出発せざるを得ないのですが、個人制作アニメでは(趣味的意味でのFlash製作者からshockwaveを通じてデビューされた青池さまのように)アマチュアとして得てきた「評判」や「個人名の持つブランド」をある程度プロとしての活動に引き継ぐ事が出来ます。尤も、文壇のようには「収益モデルがしっかり」していないために容易に金銭を稼ぐ事は出来ないですし、そもそも今の状態では「優れたアマチュア」が確実に「プロ」になれる道が通じていないのが最大の問題なのでしょうが、少なくともブログよりは(従来の活動から)「連続的」で「スムーズ」なプロへの移行が可能になる確率は高いのではないでしょうか。

 先程の例え話の「大名」である配給会社や、広告代理店が「個人制作アニメーション」に価値を見いだしているかというと、僕の感じている範囲では「あまり知られていない」のが現状だと思います。暴れん坊将軍水戸黄門でもない限り市井の状況には目が行き届かないでしょう。しかし「知られる」事によって、少しづつ取り上げられている作家もでてきていますので、そのような人が増える事によって「認知度」が上がってゆくのではないかと思います。今はまだその段階だと思います。

最初に述べたように、「現場」を見つつ言説を展開している青池さまに対する妄想的な反論ですとか、「未来は薔薇色ジャー!」式の悪質なアジテーションをやりたいわけでは断じてないのですが、上記引用部を逆説的に解釈するならば、「(多くの人に個人制作アニメを)知られる」ことの近道は「(個人制作アニメの)認知度を上げる」ことであり、それは例えば「青池良輔」「新海誠」「ポエ山」といった既にネット上ではよく知られた「ブランド・ネーム」を駆使することによって促進されると思いますし、またそれを駆使するためには「ブランド」を背負った人の更なる活躍とそれに対する賞賛・ならびに無名の作家が評価を得ることによる新たな「ブランド」の作成が不可欠だと思うのです。現在の活動は地味で草の根的なものであっても、それらの活動を続ける事は個人制作アニメ業界全体にとって実に有益なのではないでしょうか。それが狭く限定的な「Flash村」の中だけの話であっても(勿論それ”だけ”ではダメだと思いますが)。


・・・・・とまあ、長々と書きましたが、結局何が言いたかったかというと、青池さまが突然映像制作業を引退して「僕はカナダの奥地でハニーとのんびり暮らすんだ。まだいける!(新婚旅行に)」などと言いつつ僕達の前から立ち去られるのはとても悲しいのでこれからも素晴らしいFlash作品を制作し続けてくださいお願いしますという事です。いや、本当に。

*1:貴族企業アドビとの合体でFlashがますます企業向けの高価なツールになって市井の作家の手の届かない領域に、なんて危惧も・・・