週刊少年ジャンプ2005年度36・37合併号感想(ネタバレ注意!)

暫くぶりのジャンプ感想ですが、最近微妙にジャンプが面白くないためか例のごとく書く事があまりありません。新連載が軒並みアレな為だとおもわれます3作ならまだしも5作はキツいよなあしかもよりによって自分的に一番面白くないと思っている作品が人気ナンバー1だったりすると凄いですね世間から疎外された気分です!

ジャンプスーパースターズバーニングスクープ

武装錬金のサポートキャラが誰もいないよウエーン!出してもらっただけ儲けものだと考えるべきなのか!


これだけの特集記事なのに全部読んでも肝心のゲームシステムが全然理解できないってのはある意味凄いと思いました。単に僕の理解力が足りないだけなんでしょうか?つーかバトルキャラとサポートキャラの区別ってなに?

ボボボーボ・ボーボボ

マジで殺しに来た時の首領パッチの顔にウケた。晴れ時々ダウナー殺人事件青山真治

ムヒョとロージーの魔法律相談事務所

想像するんだ眠りながら空を眺めながら彼女の事をそしたらホラこんな事ができるようになったんだよ難しい妄想がいっぺんに出来てとても便利なんだホント最近僕彼女の事を考えると夜も眠れない童貞マインド全開の青少年状態でさあまるで子供に戻ったみたいだまだ子供だけどこんな同盟にも入っちゃってそのうち電波男もとい悪霊とか呼ばれるんじゃないかって不安な気持ちになるんだどうしたらいいんだろムヒョお前の気持ちはよく分かるぜエンチューあの高い鼻には誰も逆らえねえようんうん分かる分かる今度近所のつぼ八でたこわさでもつまみながらポン酒で一杯やろうぜでも僕アルコールが駄目なんだよそもそも幽霊だしうーんそうかじゃあブドウジュースでいいよたった一杯のブドウジュースでも男の友情は誓いあえるさベイベーありがとうムヒョなんだか僕勇気が湧いてきたよ二人でいざゆこうアキハバラへ!

太臓もて王サーガ


この人の漫画は読みきり時代からそうなのでそういう作風なのかも知れないのだが、個々のパロディネタが並列して表現されるそれと全く関連せず独立した「一発ネタ」としてしか機能していないというのは個人的にはとても勿体無い事だと思う。少なくとも「ジャンプに連載された少年漫画である」という繋がり以外にワンピースとナルトとドラゴンボールには何の関係性もないわけで、それならばせめてストーリーで二者の関連付けをしないと駄目だと思うんだが、繰り返すようにこの人の漫画にはもて塾時代からそういう考え方が全くない。


あと、パロディ対象をメジャーどころばかりに設定しているのはギャグの内輪化をなるたけ回避したいからかも知れないけど、こういう方向性にしてしまった時点で一部にしか受けないのは分かりきってるんだから、変なこだわりは捨ててマニア方面に突っ走った方が(連載が続くかは別として)もっと面白くなれるだろうと思う。内輪から外された人には恨まれるだろうが。

DEATH NOTE

ここでオヤジを退場させた事の意味はなにか予想

  1. 月の僅かに残っていた人としての感情を奪い取りさらに冷酷な殺人鬼に仕立て上げていくため(あるいはその逆)
  2. 死神の目を手に入れた総一郎がすぐ死んでしまった事から目の取得に何らかの心理的制限を加えるため
  3. 総一郎の正義感と責任感の究極的表現としての死亡*1
  4. メロを生かす手段に迷った作者側の都合

デスノ大好きな100人の子供達にインタビューした結果4が最多数となりましたと言われても納得してしまいそうな最近の展開が悲しい。



ジャンプとは全く関係のない話:
漫画特に少年漫画で主人公が「正義」であることを表現するには幾つか方法があって、その中で特によく使われるのが「敵を許し難い悪人にしてその反動としての主人公の正義を肯定する」って手法なんだが、この手法は(敵と主人公の関係性に気を配らなくてもいいという点で)お手軽に話が組み立てられる反面、実は「どのようにして敵が悪人であることを表現するか」という点に相当気を配らないと面白いものを作る事が出来ないとても困難なテーマでもある。
なぜならば、敵として描かれるキャラクターが「悪人である」事を了承させるのに、何をもって悪人とするのか、倫理か、宗教か、権力か、立場か、力か、社会か、哲学か、というようなことをしっかり考えないと、それは陳腐な「常識」や「法律」や「(その漫画の主要な読者にとっての)共通理解」という形で片付けられてしまい、作品自体が極めて安直な紋切り型にすっぽりと収まってしまうことになるからだ。僕はこれは「主人公が(最終的には必ず)正義である」ことを肯定しないと話を作ることが出来ない「勧善懲悪」というテーマの持つ方法的限界であるとすら感じるのだが、なぜか世間ではこういう話は未だに根強く愛されているらしく、たびたび同じようなテーマの作品が登場する。


更に言ってしまえば、敵が「悪」である事を見事描き出して見たところで、主人公の「正義」をすら同じ重みをもって描かなければ、読者側が主人公に上手く肩入れしてくれないという問題もあるのだが、まあそれは前者を成し遂げた作者であれば大した困難ではないかもしれない。
僕が不愉快なのは、そうした「悪」の根源である諸問題に対して極めて無自覚というか何も考えてない奴が、平気で自分を「正義」だと思い込んだ上で自分のカーボンコピーたる主人公にベラベラご高説をさせたりすることなのであって、お前のどこが正義なんじゃボケお前みたいな奴が戦争起こすんじゃいとすら感じるのだが、まあこんな事は週刊少年ジャンプに載るような清く正しい漫画とは一切関係のない話なのです。とりあえず今年も金未来杯には期待出来ないってことだけは分かった。

*1:このパターンだと描き込み不足との批判は避けられないと思うが