「武装錬金」という体験

今週の最終回を受けて(?)、ハイレベルな和月伸宏論を執筆されていたブログが二つほどあったので紹介する。

それぞれの内容に賛同できるかどうかは別としても、今まではせいぜい「「ジャンプ」で一時ヒットを飛ばした一発屋」としてしか語られなかった和月伸宏という作家が、漫画史の流れの一部に組み込まれた形でアカデミックに論ぜられるようになったというだけでも、「武装錬金」という作品が世に問われた意味はあったのではないかと思う。(5月1日記:ご本人の要望により訂正しました)


僕はと言えば、当然ながら上記に掲げたお二人のように漫画というメディアに対する深い体験も知識も持ち合わせていないペーペーの読者なので、考察めいた事を書くのは無理なのだが、こと個人的な体験と直感のみに基づいて言うならば、和月伸宏氏は(heta_kanさん言うところの)「存在感や尊敬の眼差しがない」一種の「凡庸さ」において特殊な作家であり、またそれが「武装錬金」の作品性にもマッチして、僕含む熱狂的なファンの増加に繋がって行ったのではないかと思う。

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昔、2ちゃんだかどっかで、和月伸宏荒木飛呂彦冨樫義博の両名と並べて「天才・鬼才・凡才」なんてフレーズで呼んでいた人々がいた。言うまでもなくここで「天才」と対応するのが荒木氏、「鬼才」が冨樫氏、「凡才」が和月氏である。当時流行のフレーズだった「軍人・凡人・変人」に引っ掛けた下らない駄洒落なのだが、言い得て妙な表現だと今になって思う。もはや人外の領域に突き抜けている「天才」が荒木氏ならば、普通の人間と異質な才能の持ち主である「鬼才」が冨樫氏、そして普通の人間と変わらぬ「凡才」が和月氏というワケだ。通常、「普通の人間と違う」事が要求される作家という職についている和月氏にしてみれば屈辱的なレッテルかも知れないが、こと「読者からの距離」という意味で考えるなら、当然ジャンプの読者はほぼ全て凡人なのだから、和月氏が人間的に最も親しみやすい人物と言うことになる。少なくとも、単行本や巻末コメントで堂々と自分のデブ加減をネタにし、作品中に自分を模したキャラクターを登場させてしまう(コミックス3巻参照)彼のような作家が「雲の上にいる大先生」のようには思えない。

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武装錬金」はtdaidoujiさん指摘するところの「大人な好奇心や興味の赴くままにやりたい放題やってしまってる」オタク漫画であり、和月氏本人の趣味や、作家としての苦悩が色濃く滲んだ作品だと僕は思う。アメコミからオーケンに至るまでありとあらゆる所からパクられたアイテムの数々(しかも単行本のおまけで悉く元ネタを明かしてくれる)、パピヨン始めとする豊富な「ネタ」、不安定な人気による低空飛行の連載体制、それに伴って迷走するストーリー・・・・・。tdaidoujiさんはこれを「少女漫画的なノリ」として解説なさっているが、こと「武装錬金」に関して言えばその趣味性は明らかに男性オタクのそれであり、また「武装錬金」のファン層自体が10代後半から30代前半ぐらいの男性中心だったように思う。

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武装錬金」の登場人物はその多くが変人であり、主人公のカズキ含め「誰にも感情移入できない」という批判は開始当初から数多く見られたのだが、にもかかわらずパピヨン登場以来熱狂的なファンの総数は増すばかりで、再殺部隊編以後一般人気がますます低迷し今回の打ち切りに追い込まれていく過程でも、熱狂的ファンの総数には大きな変化はなかったように思える。登場人物に感情移入出来ないという作品としては致命的な欠陥を持ちながら、イラストやSSをネットで発表するような「濃い」ファンが後を絶たなかったのは何故か?単に「萌え」や「ネタ」として作品を消費していた事によるものなのか?そうではないだろう。ジャンプ読者の大半を占める「漫画を読み捨てる」消費主義者は最初からこんな作品に肩入れすることなどない。同人市場の規模だけで言うならば最初からキャラクターを消費可能な「モノ」としてしか見なしていない作品の方がよっぽど上だし、パピヨンやブラボーがキャラクターやグッズとして「売れる」とは到底思えない(幾らなんでもマニアックすぎるだろ)。では、彼らキャラクター、時に大変人間的だった愛すべきキャラクター達は何の為に描かれたのか?るろ剣時代から一貫して人間中心主義を貫いてきた和月氏が、単なるストーリーやテーマの付属物として「キャラクター」を描いていたとは思えない。

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ここまで読んで下さった方は、結局僕が何を言いたいのか大体予測がついていると思うのだが、今まで書いたことを纏めると、
和月伸宏は、読者としては親しみやすいタイプの「凡才」である
・「武装錬金」は作者である和月氏の趣味と苦悩の集大成である
・「武装錬金」のキャラクターには単なる消費物としてのそれ以上の愛情が込められている
となる。


和月氏が作家としては「凡庸」であることと、同人的ノリで作品を作ってしまう「オタク」であることには、一見相関性はないように見える。しかし、この両方があるレベルで結合した時、それは読者への「共感性」へと変貌して、一種のメタ的な楽しみを生むのではないだろうか。その「楽しみ」こそが、読者が「武装錬金」に夢中になった理由なのではないのか。


武装錬金」の熱狂的ファンの多くを占めるだろう男性オタクにとって見れば、自分で描いた漫画を「ジャンプ」で連載したり、その漫画に自分の個人的趣味をありったけ詰め込む事は、誰もが一度思い描いたであろう「夢」であり、またその幻想を共有する読者に自分の表現を理解してもらうことは何よりも強い喜びであるはずだ。「漫画は商品だから売らなければいけない」という資本主義の概念が前提としてある「ジャンプ」でそんな「採算性を度外視した作品」を連載するなら、尚更のことだ。
和月氏は一度「るろうに剣心」で作家として売れて、もう一生働かなくても暮らしていけるだけの備蓄を持っているという噂もある。仮にそうではないとしても、一度あれほどのヒットを飛ばした作家が二度三度の大ヒットを夢見て、自分のやりたいことを無視してまで「売れる」漫画を描くという選択は、通常の価値観に照らすとあまり考えられない(ex.「DB」で燃え尽きた鳥山明)。「武装錬金」の商業的な不成功とそれに反する(るろ剣時代にはなかった)ディープで「濃い」ファン層*1の成立は必然として符合するのではないだろうか。


つまり、武装錬金」において読者が感情移入していたのは作者である和月氏であり、作中の人物や世界に対してではないのだ。我々は作者としての和月氏と視点をともにすることによって、合間に散りばめられたオタクネタに爆笑し、不安定な連載体制に一喜一憂し、愛情込めて描かれたキャラクターを「生みの親」として愛する事ができたのである*2。これにより読者は「武装錬金」という作品を通じて、神たる第三者としてその世界を共有するという共通体験をし、その「楽しみ」に浸るために「武装錬金」についてあれこれ語らなければならなかったのである。自身がその世界を愛する「ファン」である=作中世界を共有する資格を持っている、そのことを証明するために。
今回の打ち切り劇に至るまで、連載中止を憶測して不安になったり、単行本の売れ行き動向をつぶさに追ったりするものが絶えなかったのも、自分が共有している「世界」が崩壊することの恐れによるものであり、それがついに打ち切りという形で終わりを迎えた時のこの喪失感は、かつて共有していた「世界」がもうどこにもない事を知ってしまった故のものだろう*3。このような現象はまさに和月氏が「凡庸」=読者ときわめて近い位置にいる人物故に起きたことであり、「作家」としてよりは一「読者」として、「こんな漫画が書きたい」という衝動よりも「こんな漫画が読みたい」という衝動を強く持っていた*4、まさにオタク作家特有の個性によって為し得たことである。冒頭で和月氏を「凡才」と書いたが、ことオタクとしては彼は紛れもなく「天才」であり、そんな彼の歪な才能が歪なままに発揮されたのが「武装錬金」だったというだけの話なのだと今になって思う。この漫画を後に単行本になってから読む読者には、きっと本作の面白さを理解することは出来ないだろう。この漫画は読者が作者と一体となってこそ成立する、連帯意識と共通体験によって成立していた作品なのだから。

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以上、「武装錬金」という漫画の正体について、主観と独断のみでMMR」のキバヤシばりに分析してみたが、その「体験」の正体が何だったかに拠らず、僕にとって「武装錬金」を応援し続けた1年と10ヶ月はかけがえのない時間だったし、その間大いに楽しませてもらった作者の和月伸宏氏、協力者の黒崎薫氏に、今一度心からの感謝を表明して本稿を閉めたいと思う。


和月伸宏先生、黒崎薫先生、素晴らしい作品を提供して下さりありがとうございました。本編でもそれ以外の部分でも、こんなに楽しめた作品は久しぶりでした。赤マルでの完結編、さらにきっとあるだろう次回作も期待してお待ちしております。1年10ヶ月もの間御疲れ様でした!敬礼!(TДTゞ

*1:単に同人やってるだけみたいなのは別ね

*2:単行本のおまけ集(特にライナーノート)がこうした意識の醸成に一役買ったことは書くまでもない

*3:蛇足であるが、斯様な「不安定な連載体制」もまた、その世界に対する読者の共有感、連帯感を促進するのに有効なツールだったと言えるかもしれない(ex.2004年4月の打ち切り騒動の時のアンケート運動)。まあそれで世界そのものが崩壊してりゃ世話ないが

*4:この衝動を世界で最も早く発揮したのはかのクェンティン・タランティーノだったように思う。まあ彼は元々映画監督として天才を持っていたのか、今では「オタク」としてより「作家」としての評価の方が高いけども