今日のFlash・拡大版(「ThankU」「ねこと60年目の8月9日」「日露戦争」)

8月下旬に発表された作品を取り上げます。

ThankU

2ちゃんねるFlash・動画板のFlashイベント「Parafla!感謝祭」で発表された作品です。製作にFlash用ツールとしては唯一のフリーソフトとして有名な「Parafla!」を用いられています。


元々古着などのファッションの話題を扱うサイトを運営されているというだけはある、作者氏の卓抜なデザインセンスが目を引くポップアート的作品です。お互い主張しつつも決して画面の調和を崩すことのない洗練された色使いの見事さもさることながら、顔部分だけを空白の「ヌキ」にして描く独特の演出や、平面のパーツを組み合わせて擬似的な立体を作り出すトリック的な画法により、観客の視点を常に安定させずおくことによって、奇想天外な画面展開に対する興味を失わせる事なくラストシーンまで引っ張っていく手腕は出色です。


また、ストーリーの開始当初は地味な服装だった主人公が、男性との恋に落ちることによって派手な服装にチェンジしていき、最後の「別れ」の段になって再び地味な服装に戻るなど、ファッションによって登場人物の心情表現を行っているのも見逃せません。「黒ネズミの人形」や「オレンジフレームのメガネ」のような作中に散りばめられたアイテムの印象深さといい、東京という街の空気を柔軟かつカジュアルに吸収していったことが伝わる気取らない作風の「スマートさ」は、作者氏の確固たる個性であると同時に、普段アニメーション作品に触れない一般層や女性の共感をも呼ぶであろうものになっていると思います。


Parafla!はフリーソフトということで、アニメーションオーソリングツールとしての多機能さでは本家FlashMXにまだ及んでいない部分も多いと思うのですが、本作「ThankU」は(おそらく元々は技術的な限界としてあっただろう)作成画像の「チープさ」を逆手にとって、ベタを中心としたフラットな塗りを全編に施すことで、TVアニメ的な「動く絵」とは趣の違うデザイン的な美しさを表現しており、良心的な「おまけ」も含めてParaflaというソフトに対する作者氏の深い理解と愛情が伝わるものになっています。

ねこと60年目の8月9日

長崎市への原爆投下に題材を取ったフルボイスドラマアニメーションです。


二次大戦にまつわるエピソードの中でも特にデリケートなものと言われる「ヒロシマナガサキ」をテーマに冠した作品には、題材への直接的な対峙を良しとするあまり(あるいはその逆のあまり)、極度に正義的になったり、また露悪的になったりしやすい傾向があると思うのですけども、本作「ねこと60年目の8月9日」は平和となった長崎の街に対する老人の語りという物語形態によって、無意味な残酷描写や説教臭いアプローチを回避し、当時の悲惨さと現在の平和の尊さとに静かに思いを馳せることの出来る作品になっています。甲高い声の「ねこ」のキャラクターには少々のウザったさも感じますが(笑)、ある意味語り部としては凡庸である「老人」と、その奇抜さによって好対照を為しているとも言えるでしょう。


作者である「コギト・エルゴ・スムン」のフジツカ氏は元々同人系の作品で有名な方で、その作風からか、以前作品を出品された「CG-Online大賞」では東浩紀氏の賞賛を受けているのですが、普段の作風とはややかけ離れたものに見える本作においても、ストーリーに飲み込まれる事なく自己主張するキャラ立ちの良さ、長きに渡る経験から洗練された画力は健在であり、また本作における、重要な核心的箇所をあえて「描かない」ことでテーマを逆説的に浮かび上がらせるかのごとき表現は、野暮な説明無しでも絵で全てを描ききれるという強い自信が無ければ実現不可能であったでしょうし、またそれの裏付けとして普段の氏の別方面での精力的な活動があると考えるのは自然なことでしょう。
今後とも豊富な経験に支えられた懐の深い作品を見ていきたいなあと思わせる良品でした。

日露戦争

上映時間20分を超える歴史大作Flashアニメーションです。


ウェブで発表されているこのような「歴史もの」のFlash作品は実は数多く存在するのですけれども(例:(・∀・)イイ・アクセス: 検索結果「歴史」)、その多くは過去の同ジャンルのFlash作品から受け継いだテンプレート的手法、つまり「写真による登場人物紹介+地図による状況説明+テキストによる語り」というような固定的な形式*1から逃れきれておらず、今日に至るまで斬新な表現によるものはあまり多くないのですけれども、本作「日露戦争」はそうした過去の作品群の手法を踏まえた上で、それをさらにバージョンアップさせたかのような技芸を発揮しています。
まず目に付くのはテキスト量の多さで、特に日露戦争における陸戦を描いたシーンなどは画面の細部に至るまで追いきれないほど膨大な文字が詰め込まれており、当時の戦況などを事細かに解説するものになっています。かといって説明過剰な無味乾燥には寄らず、シンプルな矢印のモーションを利用した戦況の「実況中継」はディティールの詳細さも相俟って、映像的なアプローチは殆ど見られないにも関わらず、往時の狂騒をそのまま再現したかのような迫真性を備えており、長丁場でも全く観客を飽きさせません。


把握しきれないほどの説明の多さと、感覚に訴えるダイナミックな演出、これら二つは一見表現として矛盾しているように見えますけれども、歴史ものとしての作品の「リアリティ」の担保として働いているのだと考えれば納得がいきます。つまり、確かな取材に基づく(特に政治的なバイアスの少ない)「現実的な」状況を(資料に基づく解説によって)表現しつつ、説明の嵐に観客を退屈させないよう本筋の演出は「空想的な」までに動的な迫力を持って描かれているのであり、これは喩えるなら細部のセットや装備や舞台設定にトコトン拘ったハリウッド製戦争映画のようなもので、その「リアリズム」がエンタテインメント作品として見た場合に面白くないわけはないという事です。


作品本編に負けず劣らずのド長文の「作者解説」と「あとがき」も、本編と違ってエンタテインメント性は皆無ですけれども、作者氏の溢れんばかりの熱意を見てとれるものに仕上がっています。作者氏の采配次第では、観客側の歴史認識に対していくらでも印象操作が可能であろう高い演出力を持ちながら、安易なプロパガンダに流されない冷徹な知性と情熱を併せ持った端厳たる傑作です。

*1:例:古典として有名なFlash作品「日本とトルコ」(2002年7月1日発表