「武装錬金」最終回のネタバレ情報があちこちのサイトで貼り付けられた件について

書くべきかどうか随分迷ったが、昨日のエントリーにかなりの反響があったことに後押しされた気持ちもあって、とりあえず言いたい事を言おうと思う。
(注意:本エントリーには不特定多数の方への誹謗中傷と捉えられかねない文言が含まれていることを予めお断りしておきます)


先週、2ちゃんねるの某スレッドに「武装錬金打ち切り」についての未確認情報がリークされた時から、あちこちのニュース系サイト及びブログに「武装錬金終了!」の見出しとともに、昨日発売の「週刊少年ジャンプ」2005年度21・22合併号で和月伸宏氏の漫画「武装錬金」が終了するという情報がコピペされた。先週号のジャンプの煽りには「次号クライマックス!」との文言があった事から、覚悟を決めていたファンも多かったとは思うが、本紙連載を追っていない単行本派の人や、終了を信じられない熱心なファンにとっては、絶大なショックだっただろうと思う*1


今回の件で僕が大変な不快感を覚えた理由は、大きく分けて3つある。
1.打ち切りという(作品とそのファンにとって)不幸なイベントにかこつけた「作品への愛情」の表現
2.そもそも2ちゃんねるにリークされた情報を個人サイトに掲載していいのか、という問題
3.「祭り」の対象としての「ネタ」として作品が消費されていること
以下、それぞれの理由について個別的に詳述していこうと思う。

  • 貴方たちは本当に「武装錬金」のファンなのか?

表題に掲げたのは[1]の理由に関連した疑問だ。打ち切り情報があちこちのサイトにコピペされるのにつれて、「終了なんて嘘だー」とか「終了とは残念です」とかの一行コメントを書いたブログが大量に見られたが、それは前置きに書いたような「終了を信じられない熱心なファンにとっての絶大なショック」から生まれた発言なのか?もしそうなら同じ「武装錬金」のファンとしては十分に気持ちは理解できるが*2、今まで作品に対する感想やコメントの一言も書いた事が無い、ましてや単行本を購入したり二次創作か何かで作品に対する愛情を表現したこともない「ジャンプに載ってる漫画だからとりあえず読んでた」程度の「ファン」が、「打ち切られちゃったみたいで残念です、面白い漫画だったのに」などと書く資格があるのか?ジャンプ編集部が今回の判断に踏み切ったのは、「武装錬金」がこれ以上の作品としての「稼ぎ」を期待できそうに無い、「人気のない漫画」だと判断したからという以外に理由は考えられないだろうに*3、何故一度でも自分が「ファン」であることを表明しなかったのか?ネットでの書き込みなんて所詮無意味なものだと思っていたのか。


別にそう判断したならそう判断したで、それは個人の勝手だから誰かから責められるような質のものではないと思うし、ネット以外での活動、例えばアンケートを送ったり同人誌を発行していたりしたのなら、それはそれで文句のつけようのない「ファン」としての活動だと思う。だが、今回来週で打ち切りだからという理由だけでとってつけたようなコメントを載せていた人々は、本当は今まで「武装錬金」という作品に対して無関心だった層なのではないか?単に打ち切りだからという理由だけで、「罵倒的なコメントを載せたらまずいな」と判断し、当り障りのない「終了で残念」という追悼コメントを掲載しただけなのではないか?


・・・別に、見知らぬ他人のものであっても連載打ち切りという「少年ジャンプ」に掲載される作品にとって最も悲劇的な結末にそのような思いやりのあるコメントを頂いた事はファンとしても嬉しいし、作者である和月氏だってまんざらでは無いだろう。だが、公式発売日が来るまでにそのようなコメントを載せる行為が、結果的に自分よりもずっと「武装錬金」を愛していたかも知れないファンに大きなショックを与えてしまう可能性について、もう少し考慮する事はできなかったのだろうか?
これは3つの理由の中では最も感情的な理由だと自分でも思うし、「狂信者のヒステリーだ」と罵られても仕方がないと思う。だが、今まで「武装錬金」について一度も語ろうとしなかった貴方達が、本当に本作の打ち切りを嘆き悲しんでいるのなら、その「寡黙の美学」を最後まで貫いて欲しかった。打ち切りが決定したからと言って公式発売日前に騒ぎ立てるなんて、それこそ「ヒステリックな」行為だとは思わなかったのか?

表題に掲げたのは[2]の理由に関連した疑問。[1]で書いた「打ち切りに対するコメントに込められた愛情」などという所詮「主観的な」問題と違って、これは客観的に見ても重要な問題だと思う。


ご存知の方はご存知だと思うが、2ちゃんねるの某スレに「武装錬金」の終了情報をリークされた方は●●以上に及んで(詳述はしません)同スレッドに極めて正確な情報を流してきた「実績」の持ち主であり、だからこそ今回の「武装錬金打ち切り」との未確認情報も「ほぼ間違いなく正確な情報」として多くの人に説得力を持って行き渡ったのである。今回の打ち切り情報を最初に自サイトにコピペした方に言いたいが、貴方は同氏がそうしたポジションにある人物であり、何故わざわざ「情報の信頼性(リテラシー)」という視点で言うならば最も低いレベルに位置付けられるだろう2ちゃんねる」のスレッドに情報を掲載しているのかについてきちんと考えた上で情報の掲載に踏み切ったのか?「知らなかった」のなら(ニュース系クリッピングサイトの管理者として)実に不用意・不注意としか言いようがないし、「知っていたうえでやった」のなら極めて悪質という他なく、その上で自身の行為が情報の発信者に与える影響について考えを巡らせることすらなかったのならば、最大限紳士的な言い方をしてもバカとしか言いようがない。


もっとも、誰が最初にサイトにコピペを行ったにしろ、情報がこうも広範に伝播したのは、同じファンとして糾弾するのは心苦しいがやはり[1]で述べた「情報にショックを受けて脊髄反射的にリンクを張ったorコメントを書いた熱心なファン」のせいだとしか言いようがない。伝聞情報では上記したような情報発信者側の「事情」について慮る事はかなり困難だっただろう事はわかるのだが、やはり最低限のメディアリテラシーとして「公式発売以前の雑誌についてのネタバレ情報を書く」ことに対しての節度というか「言いたいのをぐっと堪える」気持ちは持っていて欲しかった。情報が無作為に広がることで迷惑を蒙るのはなにより情報を発信してくれた某氏であり、そして貴方達と同じ「武装錬金」の熱心なファンなのだから。

  • 「ネタ」として消費される漫画作品

表題に掲げたのは[3]の理由に関連した現象であり、また僕が本稿を執筆する動機にもなった、最も不愉快なある事態についてである。これは「武装錬金」という個別作品に限らず、メジャーに発表されているすべての創作物に対する「鑑賞者の態度」の問題であり、また現在のインターネット上の情報倫理につきまとっている一種の病理であると感じている。


武装錬金」の打ち切り情報が最初にリークされた某所は、現在一つの打ち切り候補がジャンプを去った静かな安堵感とともに、また次の「打ち切られるだろう作品」を予測するのに熱中しているように見える。まあこんなバカ騒ぎの後では平穏な気持ちに戻りたいと思うのも無理ないだろうが、しかし、その某所の住人に限らず、「武装錬金」を「ジャンプで打ち切りギリギリの低空飛行を続けつつもマニアックな人気を得て辛うじて続いている漫画」として読んでいた人々にとって、果たして「武装錬金」という作品は何だったのだろうか?「制約の多い状況の中で頑張っている漫画」だったのだろうか?それとも「詰まらないくせにだらだらと続いているどうしようも無い漫画」だったのだろうか?


推測だが、恐らく回答はそのどちらでもない*4。彼らにとって「武装錬金」は、「移り変わりの激しいジャンプの連載陣の打ち切り/新連載を予測する」ためのメタゲームのコマに過ぎない。打ち切られるまでは「面白いコマ」「見守り甲斐のあるコマ」としてそれなりに敬意を払われるが、一旦打ち切られてしまえばその時点でただの「役立たずになって捨てられたコマ」でしかなくなる。彼らは既に「武装錬金」の内容の大半を忘れつつあるし、もう二度と思い出すことはないだろう。彼らがその関心を払っていたのは「武装錬金が生き残るか/打ち切られるか」の一点に関してのみであり、彼らの楽しみにおいて、「武装錬金」という作品の内容自体は「どうでもいいこと」だったからだ。


「入れ替わりの激しい雑誌で生き残る」「製品として致命的なバグを発揮する」「奈良でスピーカーを鳴らして近所迷惑をかける」・・・・・何でもいい、「ネタ」として一時的な希少価値を発揮さえすれば彼らはそれに食いつき、暇つぶしのメタゲームを繰り広げるだけ繰り広げて、飽きたら速攻で捨てる。自分たちが夢中になったものが何だったのか、自分たちが何故それに夢中になっていたのか、事後的に考察をすることは決してない。それはただただ消費至上主義の原理に基づいてひたすら新奇な商品に飛びつくミーハーの論理であり、また刹那的な「祭り」にその場限りの享楽を求めて飛びつこうとする行為である。


これらの問題は昔、「2ちゃんねる」特有のものとして語られていた。2ちゃんねる批判を繰り出したあまたの論者が、「奴等は不毛なメタゲームに興じる愚かものだ」と断罪していた。だが、これはなにも2ちゃんねるに限った問題でも何でもなく*5、「みんなで一緒のことを語る」ことのみに快感を見出す擬似コミュニケーション中毒者と、情報を「ネタ」として消費し尽くし自己の内面に深く取り込もうとしない浅薄な人々に通底する心理であるように思う。
それはこの「はてなダイアリー」でも最近象徴的に表出していた。はてなキーワードサークルクラッシャー」を巡る一連の議論がそれだ。男の一面的な視点に基づいて女性を断罪する恐るべき醜悪な論理に基づいて作られたキーワードを、その削除を拒んだ論者が提出したのは「ジョークだからいいでしょう」という主張だ。僕はそれを読んで腹を抱えて笑ってしまった。こいつ、自分がやってることの驚嘆すべき不毛さについてちゃんと分かってるんじゃないか。こいつの主張について、「ジョーク」を「ネタ」と言い換えれば理論構造はより明確になる。「ネタ」としてのメタゲームであればどんな対象をどんな手段によって「消費」しても構わないというワケだ。それが「ネタ」にされた当事者にとってどんなに苦痛で、迷惑で、屈辱的であるかについて、深く考える必要は無いのだ。


・・・そりゃあ、「武装錬金」は(パピヨン様を引きあいに出すまでもなく)「ネタ」としての消費し甲斐のありそうなオタク漫画であったのは事実だし、またそういう「消費」のされ方を作者である和月氏本人が誘導していた節があるのも否めないよ。そういう意味ではこの帰結は自業自得なのかもしれない。だけどさあ、単なる「ネタ漫画」に留まろうとしなかったからこその再殺部隊編のハードなストーリー展開があって、それが結果として幼年読者にそっぽを向かれて打ち切りに繋がったわけで、そこら辺の事情を無視して「所詮ネタ漫画だし」の一言で片付けて「打ち切りダービー」=メタゲームの消費対象に祭り挙げてしまうってのは、どーなのよ。正直、この漫画のファンとして心底悔しい気持ちになったし、またそういうメタゲームのツールとしてしか「漫画」を読めない人が多いってことに少なからずの絶望を覚えるよ。貴方達には、漫画でも小説でも映画でも何でも、「フィクションの作品を読んで本気で感動した」経験がないのか?全ての作品を「消費物」として捉えるのが本気で正しいと思ってるのか?


・・・方々に寄り道しつつ述べた通り、これは何も漫画のような創作物に関してだけではなく、インターネット上に転がる全ての「情報」に関する向き合い方の問題だと思うし、一定程度の成熟を迎えつつあるインターネット世界において、その「情報」が搾取的な「消費」を行っても良いものなのか、真剣に考える必要が出てきたことの証左だと思う。
まあ、こんな偉そうなこと言ってる僕だって中二病について喜々として語っていたこともあるから、こんな事を書く資格が本当は無いってことは分かってるんだけどもさ。生まれて初めて当事者としてメタゲームの不毛さを深く自覚してしまったよ。

*1:一応僕自身の状況について付記しておけば、僕は2ちゃんねるの「武装錬金」専用ネタバレスレッドの常連であり、打ち切りの情報は1週間以上前から確認していた。どうでもいいことではあるが、本エントリーが単なる僕の個人的なルサンチマンで書かれたものでは無い事はご理解いただきたいと思う

*2:勿論、それでも公式発売日までは待って欲しかったという気持ちも大きいのだが。理由は[2]についての項で

*3:それすらも解らないというなら「武装錬金」を全く真剣に読んでいなかった証拠。掲載位置の推移ぐらい真面目に読めば分かるでしょ

*4:逆の言い方をすれば、上記回答のどちらかを迷わず選択できる人は今回の批判対象となる人々には該当しない、ただの「ファン」と「アンチ」だ

*5:むしろ「VIP」という隔離板を用意して限られた範囲でのみ「祭り」を繰り広げているという点では、今の2ちゃんねるは節操の無い個人ブログなどよりよほど「良心的」であると思うし、また自分たちがしていることの刹那的な虚しさについてもかなり深く自覚している人が多いように思える