「内藤裁判 - 逆転裁判 in FF11 -」に見る「コミュニケーションのコンテンツ化」と「コンテンツのオープンソース化」の可能性

うはwwwwおkkwwww


最近、更新停止中に見ることのできなかった多くのFlashを見ていく過程で、一本の刺激的な作品に出会いました。「内藤裁判 - 逆転裁判 in FF11 -」がそれです。
いつものようにこのFlashの中身の面白さについて延々と語っても十分テキストボックスは埋められるのですけれども、本作の示す可能性は内容面のそれだけに留まらないと思えたので、今回は少し趣向を変えて、本作の内容から最近よくネットで話題になる二つのキーワード、即ち「コミュニケーションのコンテンツ化」と「コンテンツのオープンソース化」について論考してみるという無謀な試みを行うことにします。
はじめに言い訳をしておきますけれども、筆者はこれらの概念について深い知識があるわけでも、また専門書に目を通したわけでもない素人なので、キーワードに対する理解が怪しい面が相当あるとは思いますが、所詮こんなインターネットの辺境のブログのエントリーなので、その辺りは割り引いて読んで頂ければと思います。明らかな間違いなどございましたらコメント欄かメールでご指摘お願いします。

  • コミュニケーションのコンテンツ化

これは最近2ちゃんねるVIP板などを引きあいに出されつつ語られることが多い概念ですけれども、不勉強にして筆者は現象としてのそれがネットでいつから開始されたのかはハッキリと知りません。が、ばるぼら氏のインターネット歴史書教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」によれば、日本においてアイコラ文化が隆盛した原因となった「Licentious Notice Board」(通称LNB)という画像貼りつけ掲示板の開設が97年8月の事だという事ですから*1、ネットにおいてはあまり新しい概念と呼べるものではないのかも知れません。


本キーワードの意味は、字義通り「誰かと誰かが繋がりをもつ事を目的として行われたコミュニケーションが、コンテンツとして(繋がりを持たない)第三者に提供される」という意味と筆者は理解していますが、現在のVIP板などのコミュニティにおける「コミュニケーションのコンテンツ化」の現象がLNBのそれと異なっているとすれば、コンテンツを第三者に提供する為には、そのコミュニティを(コンテンツを求める第三者が)外部から観覧する*2だけでは難しく、そのコミュニティに直接(書き込みなどを行って)参加しつつ、それらをコンテンツとして「まとめる」人物の存在が、不可欠とまではいかないでも多くの人に求められているという点でしょうか。LNBのようなインターネット初期のネットワークと比べて拡大化した現在の2ちゃんねるや、本作の題材にされているオンラインゲーム等のコミュニティは、その(コミュニティの)広大さ故にさらりと見渡すだけではその面白さを認知することが困難で、面白いと思われる書き込みなどをまとめて「まとめサイト」を開設し、そのコミュニティに参加していない第三者にもその面白さを「コンテンツとして」提供する作業が、第三者が気軽に「コンテンツ化されたコミュニケーション」を満喫する為には必要とされているのだと僕は思います*3


本作の作者である川原雄一氏の出自に関してはサイトにも該当記述がないため推測する他無いのですけれども、本ゲームの元ネタとして、ファイナルファンタジー11の関連掲示板の書き込み*4まとめサイトである「暫定wwwwwwwスレまとめ」を挙げているあたり、まとめサイト管理者と同じ「コミュニティに参加しつつそれをまとめる」ポジションにある人物か、あるいは「まとめサイトの面白さに触発され自身でも同じようなことを行おうと試みた」人物であるのはほぼ間違いなく、また作中で実際にオンラインゲームや関連掲示板でのコミュニティの際に使用されたであろう独特の言葉使い*5を全編に採用しているところから見ても、彼の作業は「(関連掲示板で行われた)コミュニケーションをコンテンツ化する行為」と言って差し支えないと思います。

コンテンツのオープンソース化という概念はアメリカの法学者ローレンス・レッシグが2001年に提唱した「クリエイティブ・コモンズ」の考えかたと密接に関係しています。詳しくははてなキーワードの解説をお読みいただきたいのですけれども、リンクから記述を引用しますと「creative commonsクリエイティブ・コモンズ)は、著作権での保護のうち、著者自らが、その権利の一部を解放する意志を明示することで、作品の様々な広がり・利用・他の創作者との共同作業を促進しようとする取り組み」のことです。


コンテンツがオープンソース化する、ということは即ち、(誰かの著作物である)コンテンツ、それは絵でも音楽でも文章でもゲームキャラクターでも構わないのですけれども、コンテンツが著作者の元にその諸権利の全てを保護される事なく、「素材」としてオープンソース的に第三者に利用されることを意味します。これはインターネットの普及に伴いその有用性が怪しくなりつつある著作権法のような既存の法律への批判的なアクションでもあり*6、現在その意義に関してインターネットのみならず各地で活発な議論が行われている最中の事柄です。


本作「内藤裁判」はスクウェア・エニックス制作のゲームソフト「FINAL FANTASY XI」にその設定及び世界観及びキャラクターを準拠しており、またカプコン制作のゲームソフト「逆転裁判」にそのシステムを準拠しています。
元来Flashはウェブで使用出来る様々なメディア(画像や音楽など)を統合する為のウェブコラボレーションツールであり、上記したような著作物の他作品への援用を許すオープンソースの考え方とは相性が良いと言えます。既に幾つかの先達があるとはいえ*7、本作のASを駆使した「逆転裁判」システムの再現度の高さや、(素材としての)既存のキャラクターの利用の上手さは特筆に価するレベルのものであり、もしもこれらの既存コンテンツがクリエイティブ・コモンズの名の元にオープンソース化されているのならば、その恩恵を受けた作品の代表作のひとつとして本作は語られるかも知れません。


しかし、言うまでもなくクリエイティブ・コモンズの徹底されていない現行のインターネットでは、本作は著作権法違反により罰せられる危険と常に隣併せにあると言えます。

  • コミュニケーションから生まれたコンテンツを新たなコミュニケーションの契機にする

さて、何故「コンテンツのオープンソース化」が「コミュニケーションのコンテンツ化」と関連しているのかと言いますと、それはここ数年のインターネット文化の趨勢が原因となっていると言われます。


つまり、ネットの利用者の多くがネットをコミュニケーションの為のメディアとして使うことに熱心になり*8、それまで「インターネットの主役」とされてきた誰かの独自の創作物=コンテンツは、コンテンツそのものの価値よりも「コミュニケーションの為の契機」としての価値が重要視されるようになったという事です。その為、過去あったようなネットの「コンテンツ」を販売することによるビジネスの展望はあまり積極的に語られる事がなくなり、むしろコミュニケーションの場やツールを提供するシステムに金銭的な利益を生み出すものを求める声が大きくなりつつあります。
少なくともその役割において「コンテンツ」がコミュニケーションの契機に過ぎない以上、芸術的なものを除く「コンテンツの価値」を殊更重要視するのはあまり有効な視点とはいえず、むしろコンテンツをオープンソース化して「コミュニケーションの契機」としてネット上に置く方が、ビジネス的な視座から言うと正しいと考えられているのです*9


で、話はようやく「内藤裁判」の内容に戻るのですけれども、上記したように「内藤裁判」は「(既存の)コンテンツのオープンソース化」を利用して作られた、「コミュニケーションをコンテンツ化」した作品の一例であり、しかも非常に高い芸術的完成度を誇っています。
そもそもクリエイティブ・コモンズに基づくコンテンツのオープンソース化が普及しない最大の原因は、コンテンツをオープンソースとして第三者に提供する事が、必ずしもコンテンツの製作者の利益に繋がらないという事実が問題視されているからであり、しかも元々その販売による利益を生み出す為に企業が制作したコンテンツの場合、その一部でもオープンソースとして誰かに援用されることを許す事は、多くの場合(金銭的な)不利益にはなれど利益には繋がらないからです。
しかし、(オープンソース化されたものを含む)コンテンツをウェブに置く意義が、コンテンツをコミュニケーションの契機とすることにあるのであれば、それは立派に「金銭的価値を生むシステム」の醸成へと繋がる可能性を持ってはいないのでしょうか?


「内藤裁判」はオンラインゲームソフト「FINAL FANTASY XI」から生まれたプレイヤー同士のコミュニケーションをコンテンツ化した作品であり、その内容にはおそらく「コミュニケーションに参加しているもの」にしか分からない数多くのスラングや独特の知識がたっぷり詰め込まれています。
果たして、この作品を「面白い!」と感じた元々そうしたコミュニケーションを知らなかった観覧者達*10の中から、作品の大本となったコミュニケーションに興味を持つ人が出てこないと言えるのでしょうか?コミュニケーションに参加する為の契機となるコンテンツとして「内藤裁判」を捉えるならば、コミュニケーションが行われるコミュニティ(この場合はFF11)の強力な宣伝ポップとして「コミュニケーションから生まれたコンテンツ」が位置付けられる事はありえないのでしょうか?そうした優秀な”看板”のために、自らの所持するコンテンツ(の一部)をオープンソースとして提供する事は、果たして(コンテンツを所持する著作者達のとっての)「不利益」と呼べるのでしょうか?


このような話は、本作のような一部のネットゲーム(を元にした作品)でしか通用しないものかもしれません。
しかし、インターネット全体の潮流として、第三者的立場から消費されうる単体の創作物=コンテンツではなく、皆が熱心に「参加」しやすいコミュニケーションの為のツールやコミュニティに金銭が支払われて盛りあがって行くとしたら、その「入り口」として「コミュニケーションから生まれたコンテンツ」を置くのは、パブリシティとして十分戦略的なやり方と呼べるのでは無いでしょうか?今までネット上で数多く発表されてきた既存のアニメやゲームのパロディ作品に、大本の著作権保持者である企業が口出ししないで来たのは、例えば集英社が「少年ジャンプ」の同人誌やアンソロジーの販売を黙認してきたのと同じ意図があってのことなのではないでしょうか。

  • まとめ

今回書いた与太話などを踏まえずとも、「内藤裁判」はFlashのコラボレーションツールとしての可能性を生かしきった傑作だと僕は評価しますし、仮にここで書いたような、ウェブ上の「コンテンツ」や「コミュニケーション」の概念の捉え直しの作業が今後行われなくなってしまうとしても、ウェブならではの独創的な作品としてFlashアニメの歴史に本作の名はいつまでも残る事でしょう。
上記したような概念を利用して、ゆくゆくはコミュニケーションの場としてのポータルサイトに(コミュニケーションの契機としての)コンテンツを提供することにより、コンテンツを制作するクリエイターの人々にきちんと金銭が還元されるようなシステム*11が整備されれば良いのですけれども、現状ではこのような考えは困難な夢想に過ぎないかも知れません。
しかし、いつの日かコミュニケーションを求める観覧者にとっても、コンテンツを作り出す創作者にとっても利益の上がるようなコンテンツのオープンソースとしてのあり方が確立され、また僕自身に自分の書いた文章をオープンソース化することを求められたならば、僕はきっと何の躊躇いもなくこう答えるでしょう――――――――――――





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*1:教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」198P下段11〜14行目「特にここで活動していたアイコラ職人達のレベルは頭一つ飛び出ていた。アイコラの日本での繁栄はほとんどLNBのせいである。

*2:LNBの例なら、投稿されたアイコラ群を見渡してその面白さにエンターテインされる、とか

*3:例:一日5〜10万ヒットを誇るニュー速VIPブログの人気

*4:本作の主人公である「内藤」やその他多くのキャラクターは、勿論オンラインゲームであるFF11がその大本の出自ではあるのですけれども、オンラインゲームで行われるプレイヤー同士のコミュニケーションとは別に、FF11の関連掲示板で行われたプレイヤー同士の(ゲーム外での)二次的なコミュニケーションにそのキャラクター性を定義されたところが大きいようです

*5:いわゆる「VIP語」との類似も偶然とは思えません・・・

*6:Nikkei Net - クリエイティブ・コモンズに気をつけろ」参照

*7:ねずみのろうか氏制作の「逆転裁判」など(既に公開停止)

*8:これは2002年からのブログの隆盛や2003年からのSNSの普及と関連しています

*9:この辺りの議論をご存知の方ならお気づきでしょうが、この考え方は僕のオリジナルのものではなく某氏の完全な受け売りです。本当ならリンクを張って出典を明示すべきでしょうが、ご本人が(リンクが)ご不快だと仰られているのでリンクは張りません。悪しからず

*10:その中には僕も含まれています

*11:例えばshockwave.comを有料制のゲームコミュニティサイトに改造するとか・・・物凄い非難が来そうだ:-)